時事放談 トップページ 毎週日曜あさ6:00〜6:45
過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

「写真撮影では『総理大臣』たるもの」 中曽根氏(2004年6月6日)

岩見氏:このとき中曽根さんは、「よし、この際米英の真ん中に入ってみようか」という腹積もりをもたれたんですか?

中曽根氏:はい、そうです。やっぱり、日本は国連で、アメリカに次いで税金を出している国ですからね。だから日本の総理大臣が隅っこにばかり座っているのは国民に申し訳ないと。やっぱり真ん中に座ってみて、税金出している国民が、税金出していてよかったと、そういうことまでやるのが総理大臣の責任だと。そういう考えが濃厚にありまして。

「腹づもり」を聞かれて、「はいそうです」と言い切るところがなんともである。中曽根氏は、小泉総理が政界引退を勧めた最後の会談で、目をそらしながらに「どういう地位になっても、ご活躍願いたい」と繰り返す小泉総理に、「そんな問題ではない。政治家の使命感と執念の問題だ。考え直して欲しい」と言い放ったと今、振り返る。確かに、東京・平河町の砂防会館での打ち合わせに熱が入って来たときに、資料を置いた接客用のテーブルにもっと近づこうと、座っていた椅子をわきで抱えて、前にドン、ドンとずらした時にはびっくりした。もちろん、元総理の事務所にある椅子だから、重厚な木製でなんともズッシリしたものなのだが。なんという「使命感と執念」であろうか。

そして、なぜか中曽根氏は収録の時に秘書が「録ってもらえますか」とカセットテープレコーダーを手渡すのである。収録中、副調整室のスピーカーの前に置いて、後から秘書に返すのであるのだが、最初はなんでそんなことをするのか、怪訝に思ったものだ。何回めかに秘書に尋ねると「ボリュームをいっぱいにしてですねえ、帰りのクルマの中で聞いて、どこが良かった、どこはこう言えば良かったと考えるんです。一人『反省会』ですね」と言う。なんとも総理大臣になる人は「違う」ものである。

その「慰労会」の夜、私は思うところがあって、この日に読もうと思って机の上に雑誌を準備していた。「文藝春秋」92年6月号。「『自由社会連合』結党宣言、細川護煕」である。その題と1ページ目の細川氏の当時の写真に私はしばらく見入った。

「国際情勢がかつてない激動に見舞われている中で、日本の政治状況は幕藩体制下の鎖国の中に、惰眠をむさぼっていた幕末の状況と酷似している。日本が直面している最大の危機は、日本の政治が自らに課せられた責務をまともにとられていないことにある。日本の政治は、この歴史の転換期の本質を認識することも、転換期に対処する基本方針を提示することも、日本の進路の転換をめざして新しい国民的合意を形成することもできずに、混迷を続けている」。

その出だしの語り口に、私は興奮した。そう、あれは暑い日だった。自民党竹下派担当だった私は外遊から帰る小沢一郎氏を成田空港で待ち受けていた。タクシーが並び蒸し返す車寄せで、「とうとう細川が動き出しましたね」と話しかけると、小沢氏は「そうだな」と返したことなども思い出した。

この後、細川氏は全国から同士を集めて「日本新党」を旗揚げし、「責任ある変革」の名の下に、一気に自民党に変わる連立政権の総理の座につくことになる。

この最初のページの見出しにはいくつかの副題があって、そこに「日本の最大の危機は政治が内外の激変に対応する意志と能力を失ったことにある」「『あげるべき時に声をあげなかった』わが祖父・近衛文麿の悲劇に深く学びたいと思う」とある。そう、声をあげるべき時に・・・。後藤田氏と野中氏はあの3年前の最初の出演の時から声をあげて「怒り」だした。


ページ |