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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

【2007年5〜6月号】
「野蛮な心」を

その日、岩見隆夫氏の「慰労会」を終えて、夜、東京・赤坂の会社に戻ってきた。「時事放談」の司会を務めて頂いた岩見氏は3月いっぱいで交代することになり、そば屋での番組スタッフや関係者での思い出話は大いに盛り上がった。興奮した私は立ち上がってあいさつを3回したという(これがなぜ「伝聞調」かというと、酔っぱらって最後の1回は記憶がないからである)。そして、さっきまでの喧噪とはうって変わった、人気の少なくなった会社の机に座ると「ああ。もう3年もたったのだな」と思った。

あのとき、「時事放談」は「ワイドショー政治を叱る」とのろしを上げて、小泉政権のまっただ中に旗揚げしたのだった。実際に政治の舵取りをした人に、「本当の事」を語ってもらおうと意気込んだ。朝の打ち合わせで、何回、議論(言い合い)してきただろう。1回目の出演者は中曽根元総理と宮沢元総理だった。両氏とも小泉総理の「政治的テロ」(中曽根氏談)によって政界を引退して間もなくの時だった。政治の中心にいて政治のウラも表も知るこの二人に、「そろそろ本当の事を語って頂ける」とにらんでの出演依頼だった。


「今なら・・・。」 中曽根氏・宮沢氏(2004年4月4日)

岩見氏:バッジを付けているから言いにくかったことが、辞めたことで、ざっくばらんに喋れることがあるんですか?

中曽根氏:やっぱりバッジがなくなればね、ある意味、超党派的に自民党にも遠慮しないで、小泉さんにも遠慮しないで自由に言えるようになった。

岩見氏:宮澤さんも同じように?

宮澤氏:何十年、気をつけてものを言う癖がついてますからね、なかなかですわ案外(笑)。

3年前の1回目の番組冒頭の、このやりとりは懐かしい。夜中に何回も目を覚ました日々を思い出すのだ。「あれはどうしよう、これはどうしよう・・・。どっちの方がいいのだろう」。いくつもいくつも決めなくてはいけない事があった。決めると言うことは、もう一つを捨てるということだから、あのころは考えなくてはいけないことが山のようにあった。もちろん、今でも夜中に目は覚める。考えなくてはいけないことはさらに増えている。でも、3年間の「苦闘」の果てに、今はそれをやり過ごすすべを知った。

宮沢氏は初回のこの日、日頃の外交の懸念を披露した。現職時代にはなかった語り口でアメリカが駄目になっていると繰り返した。

「ネオコンという連中・・・。」 宮沢氏(2004年4月4日)

どうも昔から知っていたアメリカと違ってきたな困ったもんだなという感じがしている。ネオコンという連中が一番の原因だと思うんですけど。つまりアメリカっていうのは非常に謙譲な、謙遜な、正直な国だし、自分から先へ打たない国ですよね。どうもこのところ、世界一、ただ一人のジャイアントになっちゃったからだろうな、自分たちが力をふるって世界の秩序を保たないといけないんだといったようなそういう意識が強く出てきちゃって、敵か味方かっていったものの考え方が表へ出てくる感じがあってそれが心配なんですよ。

一方、中曽根氏は後の回で、ウイリアムズバーグサミット(先進国首脳会談)での写真撮影の時の「思い」を語った。保守政治家というのは「色々」考えるものだと感心した。


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