特集

2018年4月1日「ジャンヌ・ダルク特集(フランス)」

フランスの世界遺産を駆け抜けた悲劇のヒロイン ジャンヌ・ダルク

13歳で神の啓示を受け、17歳で王に謁見して実力を認めさせ、大活躍の後に19歳で火刑に処される──フランスの英雄ジャンヌ・ダルクを知らない人はいないでしょう。フランスを守るために駆け回ったロワール渓谷の城、命をかけて目指したランスのノートルダム大聖堂、オルレアンの乙女と呼ばれるジャンヌ・ダルクの人生には、フランスの名だたる世界遺産が関わっていました。石渡ディレクターが案内します。

ロワール渓谷に突如現れた神の声を聞く少女 ジャンヌ・ダルク

フランスの辺境の村に生まれたジャンル・ダルクは、17歳のときに、フランス王に会うため、フランスの中心部ロワール渓谷のシノン城を目指して旅に出ます。まずは、ジャンヌ・ダルクがフランスを救うための第一歩を踏み出したのです。

──今回の番組の主役はフランスの英雄、ジャンヌ・ダルクですね。どのような内容なのか教えてください。

石渡ディレクター(以下、石渡):はい。ジャンヌ・ダルクは15世紀の初頭に突如現れ、フランスを救い出し、そして消えていった、まさに歴史を駆け抜けていった少女です。世界中に知られている人物ですが、ジャンヌ・ダルクがどういった目的で具体的に何をしたのかまでは知らないという人も、意外に多いのではないかと思います。番組ではジャンヌ・ダルクの足跡をたどりながら、そこに関わる彼女ゆかりの世界遺産を紹介していきます。

──ジャンヌ・ダルクが登場した当時、フランスはどんな状態だったのですか?

石渡:ジャンヌ・ダルクが活躍した15世紀初頭は、フランスとイングランドの百年戦争が終盤にさしかかっていた時代でした。そのころフランス国内は、多数の領主が乱立しており、実質的な国王が不在のような状態。さらにオルレアン派とブルゴーニュ派による内乱が起こっていて、それに乗じてブルゴーニュ派と共闘する形でイングランドがフランス国内に深く進軍していました。ジャンヌ・ダルクは、そんな泥沼の戦争が続く中に現れたのです。

ドンレミ=ラ=ピュセルに残される、ジャンヌ・ダルクの生家。神聖ローマ帝国の国境近くという僻地だったが、この地域からいずれフランスを導く予言者が現れるといった噂は、ジャンヌ・ダルク登場以前からあったと言われています。

──フランスは国の体裁すら保っていない、分裂状態だったわけですね。ジャンヌ・ダルクの登場と、彼女に関わる世界遺産を紹介してください。

石渡:はい。ジャンヌ・ダルクは、ドンレミという村の出身です。現在はドンレミ=ラ=ピュセルという街で、ここでは彼女の生家を撮影しました。当時、すぐ東側は神聖ローマ帝国領という国境沿いの辺境で、周囲はブルゴーニュ公領とイングランドの支配地域に囲まれていました。ジャンヌ・ダルクは12歳のときに神の啓示を受けたと言います。当時のフランス王太子、後のシャルル7世を王位に就けよ、というものでした。そして17歳のとき、シャルル7世に会うために遠く離れたシノン城に向かいます。敵陣を通り抜けなければならない危険な旅でしたが、奇跡的にシノン城にたどり着き、王に接見することができたのです。シノン城は、「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」として登録される世界遺産のひとつです。現在もほぼ当時のままの姿で残されていて、シャルル7世と接見したと言われる大広間などを撮影しました。

ロワール渓谷にあるシノン城。王太子のシャルルに接見するため、ジャンヌ・ダルクが最初に目指した場所です。見た目は要塞といった感じのたたずまいで、当時の姿のまま残されています。

オルレアンを目指すジャンヌ・ダルクが立ち寄ったブロワ城。時代ごとの当主が独自に改修や増築を重ねた結果、さまざまな建築様式の建物が見られます。ブロア城の美術館に展示してある絵画には、ジャンヌ・ダルクに剣を授けるシャルル7世が描かれていました。

──ジャンヌ・ダルクは王と接見した後、どのような行動に出たのでしょうか?

石渡:次にジャンヌ・ダルクは、数々の世界遺産が点在するロワール渓谷を進み、激戦地となっていた街、オルレアンを目指します。途中、やはり世界遺産に登録されている城のひとつ、ブロワ城に立ち寄っています。13世紀から17世紀にかけて、当主が変わるごとに増築が繰り返されてきた城で、中にある美術館にはジャンヌ・ダルクとシャルル7世を描いた絵画も展示されていました。ロワール渓谷にはこのほかにも、シュノンソー城、アンボワーズ城、シャンボール城など、世界遺産に登録された数々の古城があります。ジャンヌ・ダルクはブロワ城で再編成された部隊を引き連れて、イングランド軍に包囲された都市、オルレアンの解放に向かいました。

ジャンヌ・ダルクがオルレアンを目指して駆け抜けたロワール渓谷には、シュノンソー城やシャンボール城など、さまざまな城が残されており、世界遺産に登録されています。

──ジャンヌ・ダルクは、なぜオルレアンを解放しようとしたのですか?

石渡:ロワール渓谷の中心都市でもあるオルレアンは、北から南下してくるイングランド軍とフランス軍と両方にとって重要な拠点で、オルレアンの攻防戦は百年戦争の要となっていました。フランスにとってはまさに生命線となっていたオルレアンがイングランド軍に包囲され、人々は希望を失いかけていました。そんなときに突如ジャンヌ・ダルクが現れ、数で勝るイングランド軍を撃退したのです。ここからフランス軍の進撃が始まりました。ジャンヌ・ダルクの存在に、フランス軍や街の人々の士気は高まり、フランスに味方する都市も増えてきました。オルレアンの人たちは今でもジャンヌ・ダルクに敬意を払っていて、ジャンヌ・ダルク祭という大きなお祭りが毎年開催されています。

ジャンヌ・ダルクが解放したオルレアン。毎年行われるジャンヌ・ダルク祭りでは、その年のジャンヌ・ダルク役が選ばれます。オルレアンにとってジャンヌ・ダルクは街を開放してくれた英雄なのです。