特集

2018年3月11日「鉱山の街ローロスとその周辺」

極寒の地の生活を支えた冬だけに現れる「冬の道」

極寒の地ローロスで、人々はどのようにして暮らしていたのでしょうか? 今なお建ち並ぶ300年前の家々に、その工夫が残されていました。また、かつては整備された道がなく夏は陸の孤島だったローロスには、冬の間だけ外部とつながる道が現れました。冬だけ通ることができる「冬の道」をたどりました。

──厳しい寒さのローロスですが、人々はどうやって寒さを克服したのでしょうか?

江夏:一風変わった家造りに、寒さ対策の工夫が込められていました。ローロスは元々物資が乏しい場所なので、土地にある限られた建材を使うしかありません。家は基本的に丸太作りなのですが、丸太と丸太のすき間にコケを挟んで気密性を高め、寒さを防ぐ工夫がしてありました。また、鉱夫や職人が住んでいた家は、屋根に土が敷き詰められていました。土屋根にすることで保温効果があったそうです。1800年頃までは、このような土屋根の家屋が建てられていたようです。

今は誰も住んでいない、鉱夫や職人の住居だった小さな家屋。積み上げた丸太の壁のすき間にはコケが詰め込まれていました。また、屋根の雪を下ろしてみると草が。何と土を積んだ屋根だったのです。物資の限られた中での防寒対策の知恵です。

──土の屋根とは珍しいですね。裕福な層はどのような家で暮らしていたのですか?

江夏:同じく木造の家屋なのですが、母屋の中央には中庭が作られていました。そこで家畜を育てたりして、寒さの中でも生活の糧を得られる工夫が凝らしてありました。また、鉄道が整備されて物資が豊かになってくると、鉱山会社の幹部などの富裕層の家は、壁を化粧板で飾るようになりました。そのため、ローロスのメイン通りはカラフルできれいなんです。

富裕層の家屋。上から見ると、中庭が作られていることがわかります。中庭では、牛などの家畜を飼っていました。

──鉄道が敷設される前は、どうやって移動していたのですか?

江夏:整備された道がなかったので、夏の間はまさに陸の孤島でした。しかし、冬になると雪が積もり、さらに川や湖が凍りつきます。すると、ソリで移動できるようになるんですよ。冬の間だけ、そりを馬で引いた商人が各地からやってきて保存食や生活必需品などを売りに来ていました。そうした馬ゾリのキャラバン隊が通った道は「冬の道」と呼ばれ、世界遺産に指定されています。今回は、実際に馬ゾリを用意して、キャラバン隊を再現してみました。馬ゾリが走る大雪原を掘ってみると、氷の下から水が出てきました。大雪原に見えていたのは、凍った湖に雪が積もったものだったのです。

鉄道が走るようになり、物資が潤沢に手に入るようになると、裕福層の家屋の壁は色とりどりのパネルで飾られるようになりました。ローロスの通りは、カラフルな色であふれていました。

かつては整備された道がつながっていなかったローロスは、夏には陸の孤島となりました。しかし、冬になると川や湖が凍り、雪が積もって、ソリで移動できるようになったのです。番組では、「冬の道」を馬ゾリで進む当時のキャラバン隊を再現しました。

──物資の運搬は冬の間に行っていたんですね。そのように物資が乏しい中で建てられた木造の建物が、まだ残っているというのもすごいですね。

江夏:数百年前の木造建築が残っているのには、理由があるんです。かつて銅の精錬には大量の薪を使っていたので、木材は貴重でした。そのため、使える木材はできるだけ再利用して、家を維持してきたんです。その精神は今も受け継がれています。街の中心にある修復センターでは、まだ使える古い部材はできるだけ残すようにして、傷んだ部分だけを取り替えるという作業を行っています。

ローロスの修復センター。街のほとんどの家が保護の対象になっていて、傷んだ部分を修復しています。古い部分もできるだけ残して、修復を行います。

──そんなところにも美しい街並みが残されてきた理由があったんですね。最後に番組の見どころをあらためてお願いします。

江夏:はい。ノルウェーのローロスは日本でもあまり知られておらず、映像で見る機会も少ない場所です。氷点下30℃を下回る極寒の中で撮影してきた貴重な映像をお送りします。取材中、街の人の話を聞いていて印象に残ったのは、人々がローロスの街を誇りに思っているということでした。彼らが自分たちで作り上げ、発展させてきた美しい鉱山街、ローロスの人々ご自慢の街並みを、ぜひご覧ください。