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2018年3月11日「鉱山の街ローロスとその周辺」

氷点下52℃!極寒の地に築かれた鉱山街

北欧ノルウェーの奥地、かつてはたどり着くのも困難だった土地にローロス鉱山街は作られました。記録では気温が氷点下50℃を下回ったこともあるという、世界で最も寒い鉱山の街のひとつです。そんな土地柄であるにもかかわらず、美しい街があり、人々が暮らしてきました。果たしてどのような場所なのか、寒さ厳しい真冬のローロスに、江夏ディレクターが向かいました。

銅を採掘するために僻地に生まれた極寒の街

撮影で訪れたローロスは、最低気温が氷点下約35℃! 厳しい環境に加えて、周辺には何もなく、かつてはまさに陸の孤島でした。なぜこのような場所に街が作られ、どのように発展してきたのか。ローロス郊外の銅鉱山に潜ってみました。

──今回はローロス鉱山街ですが、日本ではあまり知られていない街ですね。まずはどのような場所か教えてください。

江夏ディレクター(以下、江夏):ローロスは、ノルウェーの内陸部、標高600mほどの山間部にある街です。1644年にヨーロッパ最北端の銅の鉱脈が発見された場所で、銅を採掘するために街が作られました。ローロスの銅鉱山は国策として開発が進められ、1977年まで操業していました。精錬された銅の約9割は海外に輸出されていて、主な輸出先のひとつが、当時ノルウェーと同盟国だったデンマークです。デンマークの世界遺産「クロンボー城」の大砲は、ローロス産の銅で製造されています。今回は、デンマークにも足をのばし、ローロスの銅がどのように使われたかも撮影してきました。

ノルウェーのローロスは、鉱山の街として何もない場所に誕生し、独自に発展してきました。約40年前まで、銅鉱石が採掘されていました。

──僻地であるにもかかわらず街が作られて発展したのは、ノルウェーの重要な産業を担っていたからなんですね。

江夏:そうです。周囲から孤立した場所だったこともあって、まるで独立した都市国家のように発展してきました。現在の街並みは、300年前からほとんど変わっていません。そのことも、ローロスの特徴のひとつです。あとは、とにかく寒いんです。私は寒がりなので、南極でも耐えうる装備で挑みました。ローロスで一番厚着をしてたと思いますよ(笑)。

ローロスの銅はほとんどが海外に輸出されていました。デンマークの世界遺産であるクロンボー城の大砲にも、ローロス産の銅が使用されています。

──真冬の撮影でしたが、具体的にはどんな寒さだったのですか?

江夏:この地域は気温が氷点下50℃にもなることもあるんです。1914年の地元の新聞記事には、氷点下52℃になったと書かれています。今回は一年で最も寒さが厳しくなる1月末から2月にかけての撮影でしたが、気温は氷点下約35℃にまで下がりました。熱湯を空中にまくと、すぐに凍って煙のようになってしまうほどです。

──文字どおり極寒の中での撮影でしたね。ローロス誕生のきっかけとなった鉱山ですが、現在はどのようになっているのですか?

江夏:今はもちろん廃坑となっていて、何も動いていません。観光用に、一部坑道を見学できるようになっています。極寒の鉱山での労働というと、悲惨な労働環境を想像するかもしれませんが、意外にも鉱山の中はそれほど寒くないんです。坑道は年間を通して気温が一定で、4℃ほどです。外は氷点下30℃以下ですからね。4℃ともなれば、暖かく感じるくらいです(笑)。

坑道は一部見学することができます。坑道の中は年間を通して4℃くらいと気温が一定。氷点下30℃以下という極寒の外よりも快適な空間です。

坑道の奥に、鉱石に含まれる銅の成分が描き出した美しい自然のアートも見つけました。

──それなら下手に外にいるよりも、坑道の中のほうが快適ですね。

江夏:そうなんですよ。ローロスには銅の精錬所などの関連施設もいくつか残されています。驚いたのが、精錬所の横にある小高い丘。実は人工的に造られたもので、採掘した鉱石から銅だけを取り出し、残った廃棄物を積み上げたものでした。雪に埋まっていたので、実際に掘り起こしてみました。ローロスでは何もかも雪に埋まっているので、撮影するのにもひと苦労でしたね。

元精錬所の奥にある謎の雪山。掘り返してみると、銅を精製したあとの鉱石の残骸でした。300年にわたって積み上げられ、小高い丘になっていました。