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2017年9月24日「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」

海の民が祀る3人の女神

7世紀から8世紀にかけて編纂された『日本書紀』には、宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮についての記述があります。最近行われた発掘調査の結果、ここに書かれていたことを裏付ける、大発見がありました。古代日本の真実を知るヒントが、隠されていたのです。

──では次に、大島の中津宮と、本土の辺津宮についてうかがいます。まず大島について教えてください。

児玉:大島は、九州本土の港からフェリーで25分くらいの距離で、沖ノ島と九州本土の辺津宮を結んだ直線上に位置します。人も住んでいて、漁業を中心とした島です。島の最高峰の御嶽山の麓には宗像大社の社殿である中津宮があり、三女神の湍津姫神(たぎつひめ)が祀られています。頂上には古代祭祀場の跡である大島御嶽山遺跡があります。この遺跡も沖ノ島と同様に、重要な祭祀場だということがわかっています。実はこれまで1000年以上も調査されていなかった大島御嶽山遺跡の本格的な発掘調査が、7年前の平成22年に初めて行われました。

九州本土から沖合10kmほどに位置する大島。人口は約700人の、漁業を中心とした島です。島の最高峰の御嶽山の頂上には、かつての祭祀場の遺跡があります。

──これまできちんと調査されていなかったのですね。大島御嶽山遺跡からは、どのような出土品が見つかったのでしょうか?

児玉:祭祀が行われていたのは7世紀から9世紀と言われており、同時代の沖ノ島の遺跡と共通した出土品がありました。形代(かたしろ)と呼ばれる、石を削って作った人や船をかたどった雛形品が多く見つかっています。また、奈良三彩という、日本で初めて釉薬を使って焼かれた焼き物の破片も出てきています。沖ノ島の遺跡でも、これによく似た壺が見つかっています。

御嶽山の麓に建てられている宗像大社の社殿、中津宮。宗像三女神の湍津姫神が祀られています。

──沖ノ島と同様に、大島でも重要な祭祀が行われていたわけですね。

児玉:はい。また、本土の宗像大社辺津宮の祭祀場跡からも沖ノ島や大島と同じような出土品が見つかっています。『日本書紀』には、宗像氏が沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮で宗像三女神を祀ったという記述があるのですが、この発見は、それを裏付けることになりました。

大島の北側には、世界遺産に登録されている沖津宮遙拝所があります。訪れることができない沖ノ島に祈りを捧げるための場所で、遠く沖ノ島を正面に見ることができます。

──古代の歴史書の内容を証明したのですね。辺津宮の祭祀場にはどのような特徴があるのでしょうか?

児玉:辺津宮は宗像大社の総社で、中心的な場所。市杵島姫神(いちきしまひめ)が祀られています。辺津宮の本殿から少し歩いたところには高宮祭場という祭祀場があります。ここは今でも露天祭祀が行われている場所で、社殿のない古代のお祭りがどのような状態で行われていたかが外から見てもわかります。四角く並べられた石があり、中央には神籬(ひもろぎ)と呼ばれる神の依り代となる木があります。ここに神職が並んで、露天祭祀が行われます。

本土にある宗像大社の総社、辺津宮。宗像三女神の市杵島姫神を祀った場所です。

──古代から受け継がれてきた神事が今も行われているのですね。そのような神事は他にもありますか?

児玉:毎年10月1日に、普段は離れて祀られている宗像三女神が辺津宮で一堂に会し神事を行うという「みあれ祭」というお祭りがあります。祭の当日、沖ノ島から迎えられた沖津宮の田心姫神と中津宮の湍津姫神のご神体は、大島から漁船に乗せられて本土を目指します。それを本土の港の沖合で辺津宮の市杵島姫神がお迎えするのです。この祭を担うのは、大島を中心とする地元の漁師たちです。漁師たちは300隻もの大漁船団を組んで、神様をお守りしながら移動します。その勇壮な光景に、多くの見物客が集まります。

辺津宮から歩いて10分ほどの山手にある高宮祭場。社殿のない露天祭祀場で、今でも古代と同じように露天祭祀が行われています。

──宗像大社の神様は、地元の漁師さんたちが運ぶのですね。

児玉:大島を中心とする地元の漁師たちは長年、沖ノ島、そして宗像三女神の信仰において重要な役割を担ってきました。沖ノ島の古代祭祀は、9世紀末くらいで途絶えてしまいます。大和朝廷が遣唐使を廃止し、国政に向かっていったからです。その後の信仰を守ってきたのが、宗像地域の人々、特に大島の漁師たちだったのです。沖ノ島はよい漁場でもあり、漁師たちは今でも、沖ノ島の港で寝泊まりしながら漁をします。そして、魚が捕れたときには、神様に献魚をする慣習が残されています。

10月の「みあれ祭」では、辺津宮で三女神が一堂に会します。三姉妹の神様は大漁船団に守られながら移動します。宗像の信仰は、ずっと海の民が守ってきました。今も献魚の慣習が残ります。

──では最後に、視聴者のみなさんに番組の見どころをお願いします。

児玉:世界遺産に登録されたことで、あらためて注目されている沖ノ島ですが、実際には近くで見ることはできません。その謎に包まれた沖ノ島がどんな場所なのか、じっくりと見ていただく貴重な機会だと思います。そして、大和朝廷が国を統一していく過程において、宗像地方と宗像一族が果たした役割は非常に大きく、文化的な中心地であったことも、この機会に知っていただきたいと思います。