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2017年9月24日「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」

上陸禁止!玄界灘に浮かぶ宝の島

2017年7月、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が新たに世界遺産に登録されました。大和朝廷が国作りを始めた4世紀、沖ノ島は、国の安泰を願って祈りを捧げる場所として朝廷に選ばれ、その後600年近くにわたって神事が執り行われてきました。1600年経った今でも、さまざまなかたちで古代の習わしが残されています。一般の人は入島が禁じられ、長年守り続けられてきた沖ノ島に特別に上陸し、取材を行った児玉公広ディレクターに話を聞きました。

沖ノ島はシルクロードの終着地だった!

遺産群の中心的存在である沖ノ島。来る者を拒むような断崖絶壁に囲まれた絶海の小さな孤島であるにもかかわらず、多くの遺跡があり、8万点もの国宝が出土しています。ここがかつて、いかに特別な島であったかがうかがい知れます。謎のベールに包まれた神の島──沖ノ島の秘密に迫りました。

──2017年7月に世界遺産に登録されたばかりの『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群ですが、まずは概要を教えてください。

児玉ディレクター(以下、児玉):場所は、福岡県の福岡市と北九州市の間にある、宗像市と福津市です。玄界灘に浮かぶ沖ノ島と大島、そして九州本土の3カ所に宗像大社の社殿があり、天照大御神とスサノオノミコトとの間に生まれたとされる宗像三女神がそれぞれの社殿で祀られています。世界遺産には、沖ノ島と3つの岩礁、大島の社殿である中津宮と沖津宮遙拝所、そして九州本土の社殿である辺津宮と新原・奴山古墳群の8カ所が登録されています。中でも沖ノ島は、かつて朝廷の命を受けて、宗像一族が祀りを行ってきた場所です。今でも島全体が信仰の対象となっており、神聖な祈りの場として受け継がれてきています。ここは三女神の一人、田心姫神(たごりひめ)が祀られています。

周りを断崖絶壁で囲まれた、沖ノ島。来る者を拒むような絶海の孤島には、手つかずの原生林が広がっています。一般の人は入ることができません。

──沖ノ島は、どのような島なのでしょうか?

児玉:周囲は4kmほどの小さな島です。玄界灘の孤島で周りは断崖絶壁で囲まれているため、島で唯一の港以外から上陸するのは極めて困難です。島で見聞きしたことを口外してはならない「不言様(おいわずさま)」のほか、「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」「一般の人は上陸できない」「女人禁制」といった多くの禁忌があり、それらによって島が守られてきました。そのため、手つかずの自然が残されている場所でもあります。

沖ノ島には神職の方が1人、10日交代で詰めています。毎朝、海で禊ぎを行い、400段ある石段を登って、社殿である沖津宮に向かいます。

──一般の人は島には入れないとのことですが、沖ノ島に入れる人もいるのですか?

児玉:はい。島には宗像大社の神職の方がひとりいて、10日交代で島を守っています。毎朝、海で禊ぎを行い、宗像大社の社殿である沖津宮で祭祀を行います。今回は特別に許可をもらって、島の中の撮影をさせてもらいました。島に入るため、スタッフも全員裸で首まで海に浸かって禊ぎを行い、お祓いをしてもらってから撮影をスタートしました。

沖ノ島にある宗像大社の社殿、沖津宮は、うっそうとした森の中、島の唯一の窪地に建てられています。中では、今でも毎日、神職の方による祈りが捧げられ、神事が執り行われます。

──本当に神聖な島なのですね。島の中はどんな様子でしたか?

児玉:島に入ると、神聖な雰囲気に包まれているのを肌で感じました。沖津宮に行くには、港から400段もある石段を登ります。周囲はうっそうとした原生林で、その深い木々の中に沖津宮が見えてきます。沖ノ島は、4世紀後半のまだ日本が建国途上にあった時代から、大和朝廷の命を受けた宗像一族が国の安泰を願って祭祀を行う場所でした。巨石信仰があり、沖津宮の周辺にも巨大な岩がそびえています。その大きさには圧倒されました。巨岩の上や岩陰などに宝物を捧げることで、国の安寧を祈りました。実際に数多くの出土品が見つかっていて、その数は何と10万点にも及びます。しかも、そのうちの約8万点が国宝に指定されているほどの、貴重な宝物ばかりでした。

今でも美しく輝く純金製の指輪は、1500年前のものと見られています。7号遺跡と呼ばれる岩陰から発掘されました。

──国宝に指定されるものが8万点もあるとは驚きます。それだけ当時の日本にとって重要な場所だったのですね。

児玉:そうです。国の命運を握る場所として祀られていたからこそ、これほどの宝が集まっていたのです。島には22カ所の祭祀遺跡があるのですが、そのうちの7号遺跡と呼ばれる場所からは、非常に凝ったデザインの金の指輪が出土しました。5世紀頃のもので、古代朝鮮の新羅の古墳からも似た指輪が見つかっており、大陸との交流をうかがわせます。また、遺跡から出土したカットグラスの破片とよく似たものがイランでも発見されており、ササン朝ペルシアからシルクロード経由でもたらされたと考えられています。このように遠方から最先端の文化が届けられる場所にもなっていました。その意味で沖ノ島は、シルクロードの終着地とも言えるのです。本土の辺津宮にある神宝館という博物館には、これらの貴重な国宝が展示されています。

金銅製の龍頭は中国・敦煌近郊の遺跡、莫高窟の壁画に同じものが描かれていました。精巧な飾りの入った銅鏡も大量に見つかっています。

──沖ノ島の撮影でたいへんだったことはありますか?

児玉:島に入って最初に驚いたのは、島に飛来する数万羽とも言われる渡り鳥のオオミズナギドリです。夜になると島に降りてくるのですが、着地が下手なようで、空からボトボト落ちてくる状態なんですね。人を恐れないため、ぶつかってくるのでたいへんでした。天敵となる動物がいないので、島で大繁殖しているのです。おかげで、地面はオオミズナギドリの巣で至るところが穴ぼこだらけでした。

沖ノ島の地面は穴だらけ。犯人はオオミズナギドリです。天敵のいない沖ノ島は、オオミズナギドリの大繁殖地になっています。