特集

2017年8月27日「ヴェネツィアとその潟」

国家元首になった海の商人

ヴェネツィアの黄金期は、商人達が支えていました。アジア、アフリカ、ヨーロッパをつないだ交易による巨大な富と、多彩な文化が流入する中で生まれたガラス工芸の技術が、1000年に及ぶ国の繁栄を築いたのです。同時に、商人達は国家元首となり、利権を欲することなく、気概と誇りを持って厳正な政治を行いました。

──ヴェネツィアといえば、やはり中世の華やかな時代の重要な都市としてのイメージがあります。湿地と干潟から始まったヴェネツィアは、どのようにして発展していったのでしょうか?

大浦:ヴェネツィア発展のきっかけは、塩でした。外海から遮断され塩分濃度の高いラグーナの水質を利用して塩が作られ、徐々に交易活動が盛んになっていきました。11世紀頃から地中海を中心とした海上交易の拠点として発展し、14〜15世紀には黄金期を迎え「アドリア海の女王」と称されるようになります。その頃には西アジア、北アフリカ、ヨーロッパ全域と、地中海全域の交易の中心地となりました。交易が活発になると、ヴェネツィアにはさまざまな文化が入ってきました。そこで新たな産業も生まれました。

ヴェネツィアで独自の進化を遂げた、ヴェネツィアングラス。中世ヨーロッパを中心に大人気となり、ヴェネツィア発展を支えた産業となりました。その技術は今でもマエストロが受け継いでいます。

──どのような産業が生まれたのですか?

大浦:代表的なものとしてガラス工芸があります。ヴェネツィアに伝わったガラスの加工技術は独自の発展を遂げ、ヴェネツィアングラスとして大人気となり、巨大な富をもたらせました。ヴェネツィアングラスの中でも最も緻密なものは、レースグラスと呼ばれるガラスの中にレースを編みこんだような模様が入った装飾です。ただし、その技術を受け継ぐマエストロは4人しかいません。番組では彼らを取材し、世界最高のガラス加工技術を見せてもらいました。熟練した手さばきから瞬く間に美しい装飾が生まれていく様子を紹介しています。

ヴェネツィアングラスの中でも最も緻密な装飾のレースグラス。ガラスをものすごく細く加工してひねり、細かな網目状の模様を手作りしていきます。

──ヴェネツィアの黄金期を支えた伝統の技術と、美しいガラス細工が出来上がる様子を映像で見られますね。

大浦:ヴェネツィアのガラス細工の技術は他にも、ヴェネツィアのシンボルとも言えるサン・マルコ大聖堂にも使われています。大聖堂の壁という壁にはすべてモザイク絵があしらわれていますが、これは小さなガラスのかけらで描かれています。つまり、巨大な大聖堂が、ガラスのピースで埋め尽くされているのです。また、これらの絵を彩る黄金のガラスの中には、金箔が挟み込んであります。実際に、金箔を使った黄金のガラスの作り方も見せてもらいました。今も色褪せないサン・マルコ大聖堂の輝きは、このような細やかな仕事に支えられていたのです。「永遠の絵画」と呼ばれるモザイク絵には、ヴェネツィアの永遠の繁栄の願いが込められていました。

今でも輝きを失わない黄金のモザイク絵。小さな黄金のガラスのピースを組み合わせて描かれています。「永遠の絵画」と呼ばれるモザイク絵は、金箔を使ったガラス工芸品だったのです。

──ヴェネツィア観光では必ず訪れる場所のひとつと言えるサン・マルコ大聖堂ですが、番組を見れば、その美しさもまたひと味違って見えそうです。

大浦:そうだと思います。サン・マルコ大聖堂と並ぶ有名な観光スポットに、かつて政治の中心の場でもあったドゥカーレ宮殿があります。ヴェネツィア共和国には王や君主はおらず、商人達が政治も行いました。政治の最高権力者は、ドージェと呼ばれる国家元首でした。ヴェネツィア共和国の約1000年の歴史の中で、歴代120人のドージェが選出されました。ドゥカーレ宮殿の大評議会の間には、歴代ドージェの肖像画が描かれています。その中に、黒く塗りつぶされた肖像画があります。

かつての宮廷であったドゥカーレ宮殿。ここに2000人を超える商人達が集まり、国会の審議を行っていました。最高権力者はドージェと呼ばれ、責任と共に名誉のある役職でした。

──どうして塗りつぶされてしまったのでしょうか?

大浦:塗りつぶされたのは、横領などの不正を行ったドージェです。ドージェは最高権力者でしたが、同時に厳しく権限を制限されていました。役職が高いほど報酬が少なく、ドージェに選出されると商売がおろそかになって破産してしまうこともあったそうです。彼らが重んじたのは権力ではなく、名誉だったのです。現地で、ドージェの末裔の女性に取材することができました。17世紀に建てられた彼女の自宅には、当時の交易の名残が見て取れました。

ドゥカーレ宮殿の大評議会の間には、歴代120人のドージェが描かれた肖像画が飾られています。不正を働いたドージェの肖像画は黒く塗りつぶされていました。

──ドゥカーレ宮殿を訪れたときには、塗りつぶされた肖像画をぜひ見てみたいですね。最後にあらためて、番組の見どころをお願いします。

大浦:今回の番組では、ヴェネツィアの新たな一面をお見せしたいと思っています。個人的に印象に残っているのは、ラグーナ全体の空撮映像で、ヴェネツィアがどのような場所に建設された都市なのかがよく分かると思います。4Kカメラで撮影した美しい映像でご覧ください。また、商人が国家元首となり、2000人以上の商人達によって国会の審議が行われていたわけですが、そこには利益や権力への欲求ではなく、彼らの名誉と誇りがあったことも意外な一面でした。それがヴェネツィア共和国1000年の繁栄を支えていたことを、みなさんにも知っていただければと思います。

ドージェの末裔である、ドナータ・グリマーニさん。ヴェネツィアの歴史を研究しています。グリマーニ家は1000年以上続く名家で、3人のドージェを輩出しました。交易を行っていた自宅は、運河に面したお屋敷です。