特集

放送20周年スペシャル「巨大帝国の首都・ローマ 1・2」7月24日、31日 2週連続放送

2000年の時を超える!現代に輝くローマ帝国の威光

紀元前1世紀には、地中海全域からイングランド、エジプト、ペルシャ湾に至る広大な地域を制圧したローマ帝国。文化の異なる地域を平定すると同時に、各地に古代ローマ独特の建造物や高度なインフラを残しました。その高い技術の粋は、2000年以上が過ぎたローマ帝国の首都、現代のローマに残されています。7月24日と31日の放送は、2回にわたって「巨大帝国の首都・ローマ」をお送りします。

古代ローマが誇る驚異の建築技術

広大な領土を築き上げたローマ帝国では、そのどこに住んでいても首都ローマと同じ生活が送れるように、辺境の都市にもインフラが整備されていました。また強大な力を示すかのような巨大な建造物も造り上げています。しかもそれらは2000年経った今でも、その堂々たる姿のままでそこに立っているのです。

──今回は、地中海を中心に広大な国土と高度な文化を誇ったローマ帝国の首都、ローマですね。第1回目の放送内容から教えてください。

古賀ディレクター(以下、古賀):はい。地中海世界を統一したローマ帝国は、領土内の各地に巨大な建造物を造り、快適に暮らせるように水道などの生活インフラを整えてきました。古代ローマの建築技術は、とても2000年前のものとは思えないほど高度なものでした。首都ローマには、当時に造られたものが今も残されています。第1回目の放送は、古代ローマ時代の驚異の建築技術に迫ります。

巨大なローマ帝国を支えた建築技術の粋は、現在のローマ市内に残されていました。

──確かに、2000年も前の石造りの建造物が現在も立っているというのは驚きです。

古賀:そうですね。一般的に現在の鉄筋コンクリートの耐用年数は100年と言われていますから、2000年というのはそれを大きく超えています。有名な円形闘技場であるコロッセオは、高さ48m。16階建ての高層ビルに相当しますから、建てるだけでも大変な技術が必要だったはずです。フランスやチュニジアなど、属州にも巨大な闘技場が残されています。

古代ローマの代表的な遺跡コロッセオは、16階建てのビルに相当する巨大な建造物。約2000年経った今でもその堂々たる姿を見せてくれます。

──古代ローマの人々がこのように巨大な建造物を建てることができ、それらが今でも崩れることなく残っているのはなぜなのでしょうか?

古賀:当時の建造物には、ローマならではの建築材料が使われていました。それは、「ポッツォラーナ」を混ぜたローマン・コンクリートと呼ばれる独特のコンクリートです。ポッツォラーナは、実は火山灰で、中に含まれる成分が強い結合力を生み、コンクリートの耐久性を高めたのです。

現在も崩れることなく立っている理由は、アーチ型を駆使した建築技術と強靱なローマン・コンクリートに秘密がありました。

──なるほど。建築技術に加えて、建築材料の研究も進んでいたのですね。

古賀:そうです。まさに火山大国だからこそ生まれた奇跡の建築材料と言えます。そしてポッツォラーナは、古代ローマの水道技術にも使われていました。ローマだけで、11本もの水道が引かれていたのです。番組では、そのうちのひとつ、トライアーナ水道に注目しました。

約1900年前に造られたトライアーナ水道は、今も現役で水を運んでいました。その地下水道に、初めてテレビカメラが入りました。

──トライアーナ水道は、どのような施設なのでしょうか?

古賀:ローマから北西に40kmほど離れた湧水地から引かれた水道です。一部は水道橋で、ほとんどは地下水道になっています。完成したのは109年。6世紀に東ゴート族に破壊された後、中世になって再び利用され始めました。現在の水道はその際に再建されたものだとずっと考えられていましたが、調査によってほとんどが建設当時のままであることが分かりました。何と1900年前に造られた水道が、今も現役で水を運んでいるのです。その秘密を探るため、トライアーナ水道の地下水路に入って水源まで探検してみました。この水道にテレビカメラが入るのは、世界で初めてです。

──どんな映像が待っているのか楽しみです。それにしてもローマ市内には川が流れているにもかかわらず、そんなに離れたところから水を引いたのですね。

古賀:そうなんです。特に公衆浴場が大好きだった古代ローマ人は、水源が遠くても清らかな水を市内にまで引くことに執念を燃やしていたようです。水路を緩やかに傾斜させ、自然に水が流れる精密な構造で、動力を使うことなく水を引いています。ここにも古代ローマの高い建築技術が注ぎ込まれていました。

──他に登場する建造物について教えてください。

古賀:建築に施された芸術についても紹介しています。2014年に公開されたばかりの、初代皇帝アウグストゥスの邸宅です。窓のない部屋の壁に建物や風景を描き、部屋に広がりを持たせる工夫をしていました。いわゆる“だまし絵”の始まりです。それ以前は、単に壁に色を塗るだけでした。それから徐々に、ポンペイの壁画に見られるような、人物などの複雑なものが描かれるようになっていったのです。

公開されたばかりの初代皇帝アウグストゥスの邸宅には、部屋を広く見せるために壁にだまし絵が描かれていました。