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富岡に興った経済大国への足がかり

─製糸場は一般にも公開されているんですね。


富岡製糸場と絹産業遺産群

江夏:はい。ただし工場で建物内部を見学できるのは、繭から糸を作る操糸場と、東繭倉庫のみです。操糸場は、長さ140メートルもある大きな建物です。後は敷地内の建物などを外から見学します。地元のボランティアの人たちが中心となって、無料でガイドツアーを実施しています。だいたい1時間くらいで回ってくれるのですが、いろいろな興味深い説明をしてくれるので、訪れた際には利用するといいと思います。


―操糸場内には、実際に使われていた機械などが並んでいるのでしょうか?


江夏:はい。操糸場には昭和の時代に導入され1987年まで実際に使われていた機械が残されています。今回の番組では、富岡にこのような大型製糸場を建造することになったいきさつや、明治時代初頭の建設当初の話にフォーカスしました。



―富岡製糸場が稼働を始めたのは明治5年(1871年)ということですが、当時の機械などは残されているのですか?


富岡製糸場と絹産業遺産群

江夏:現在はレプリカが展示されているのみです。富岡製糸場の建設責任者はフランス人のポール・ブリュナという人で、導入された機械はフランスから輸入されたものでした。文献を頼りに実際にフランスまで取材に行って、フランス南部にあるセルドン村に残っていた工場跡で、当時輸出した機械のパーツなども撮影してきました。



―当時、フランスから大量の機械を輸入するというのは大変なことだと思うのですが、このような世界最大規模の製糸場が、わざわざ富岡に建設された理由を教えてください。


江夏:今回の取材を進めていくうちに、いろいろな要因が重なってこの地に最大規模の製糸場ができたことが分かってきました。もちろん理由のひとつは、昔から養蚕業が盛んだったことです。そして広い土地があり、製糸に必要な水も豊か、さらに機械の動力に利用する石炭が調達できる場所であることも重要でした。またこの時期、日本の蚕糸が世界的に注目されていたことが、官営の大型工場を造るきっかけになったのです。