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泰山 天空へつづく石の道

石渡ディレクターインタビュー
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石渡ディレクターインタビュー

Q:皇帝たちも登ったと言われる、その石段について詳しく教えてください。

この石段は、いつ、誰によって作られたかは定かになっていません。石段が始まる一天門からの山頂手前の南天門までの徒歩での所要時間は人によってさまざまですが4〜5時間ほどです。南天門手前の十八盤と呼ばれる急勾配が一番の難所で、最大傾斜は45度におよびます。山頂や途中の売店に荷物を運ぶことを仕事にしている「強力(ごうりき)」と呼ばれる人たちでさえ十八盤はとても辛そうにゆっくりと登っていました。肩で息をして苦しそうに登る人々の映像を番組で見ていただければ、十八盤の過酷さを感じていただけるでしょう。十八盤を越えると、宿泊所や食堂が建ち並ぶ天街があり、山頂まであと一息です。一天門から南天門までバスとロープウェイに乗って行くことができますが、登山客は山頂までは参道の史跡を鑑賞、参拝しながら石段を登り、山頂近くの日観峰で御来光を拝んでから下山するというコースが一般的です。

Q:辛い思いをしてもなお、人々が泰山に歩いて登るのはなぜでしょうか?

泰山 天空へつづく石の道

泰山は中国の歴史が詰まった場所であり、「中国人なら人生で一度は登ってみたい山」と言われているほどで、歴史の先人たちに想いをはせながら登る人があとを絶たないのです。歴代の皇帝や文人たちの多くは、泰山を目指しました。泰山に初めて登った皇帝は、史上初めて中国を統一した秦の始皇帝です。以来、国土、つまり地を平定した皇帝が、天につながるとされるこの泰山の頂上で、天から天命を受け、地には豊穣を願う封禅の儀を行うことにより、真の皇帝になれると信じられていました。そして、登った証として石に書を刻んだ石刻や、祠や廟などを建てたのです。それら史跡の数は1000を超えます。

Q:1000カ所もあるとは驚きです。石刻にはどのようなことが刻まれているのでしょうか?

泰山 天空へつづく石の道

詩や経文などです。史跡は、権力者が自らの権威を示すために作ったものもありますが、名も知られていない僧や文学者が残したものも多数あります。特に、1500年以上前に修行僧がたった一人で川底の一枚岩に彫り上げたと言われる1000文字を超す経文と、18世紀の清の時代の乾隆帝の書であると伝えられている、断崖絶壁の岩肌に掘られた一文字の大きさが1mにも及ぶ詩文、この2つには圧倒されます。一体どのようにして書かれたのか、いまだに解明されていません。日本では自然の景観をそのまま残そうとしますが、中国では、自然に人間が手を加えることによって、人と自然が調和できるという考え方があり、泰山を登ってみると、まさに文字が自然の中に溶け込んで調和しているようです。