日曜劇場『半沢直樹』/TBSテレビ「日曜劇場『半沢直樹』」公式サイトです。2013年7月7日(日)スタート!日曜よる9時~放送。型破りのバンカー、半沢直樹伝説の始まりだ!
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大和田 暁・香川照之さんのインタビュー(東京本部)
東京本店
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- これまでは直接向き合うシーンがなかったのですが、堺さん演じる半沢さんをご覧になってどういう感想を持たれましたか?
- 一直線な性格でまっすぐな人物、進むにつれ、そのまっすぐさが半沢の中で成長していっていますね。最初は将棋の「歩」のようにただひとつ進むだけ。「桂馬」のように駒を縫ったり、「銀」のように下がったりとか、そういう多様性を持っていない人物です。でもそういう「香車」のようなどこまでもまっすぐに行く人物は企業にとっては実は危ない、はては「飛車」のように自由に動き、最後に「竜」に変わっていく。「歩」「香車」「飛車」「竜」、この変わり方を出来る直線的な人物が「半沢直樹」という人で、堺さんはそれをどこか無意識の中で作っているんでしょうね。
- じっと向き合って、息をのむシーンが続きますが…
- たぶん堺さんは、半沢が剣道をやっているところを意識していると思うんですが、父親がああいう目にあって、それに対する大いなる憤怒のようなものから銀行員になり、ぐちゃぐちゃになりながら権力者に抵抗している人物として、竹刀のようなイメージを作っているのではないかと思います。竹刀の現われで、堺さんの芝居はずっと動かない、でもそれが役者として一番難しいんです。1ミリメートルの動きをするのが役者で、それをやらないのが本当に大変で、そこまで行くには自信がなければいけないんです。抑揚をつけたり、手を動かしたりしながらセリフを思い出してやると楽で、単に記憶の仕方の問題なんですけど、頭脳が追いつかない役者は手が追いつく、手で表現するということです。堺さんにはそれが一切ない、言葉を支配できる、言葉がたつ数少ない俳優の一人です。セリフを思い出すために、腰や手でリズムを取ったりする人が多い中、人が書いた言葉、記憶したものをあれだけ微動だにせずに言うには、ものすごいレベルまで自分の中に入れないと出来ません。これは役者としての経験上、そう感じます。受けるほうのぼくは、相対してなるべく動くような芝居をするようにしています。
- 大和田常務は出世欲のかたまりのような方ですけれど、そういうことを香川さんはどうお考えになりますか?
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企業に生きると、そういうことが大切な人もいると思いますけれど、そう思っているうちは出世しないと思います。出世には意味がないと思う人が出世したほうがいいかもしれませんね。上に立つ人はそうじゃないと。
でもその企業内での昇進というのは、立場としての昇進であって、人間としてのみがきとは違う部分ですから、ぼくにはよく分かりません。ただ、今回はそういう役ですから、演じるときはそういうスイッチを入れてやっています。 - 大和田常務は25年前の「半沢ネジ」のことを覚えていたと思いますか?
- そこを掘り下げていくこと自体が、ドラマの面白味になればと思っています。ただ、ぼくは覚えていないと思いますね。ああいう企業を、当時の大和田はたくさん担当していて、そのうちの一人が自殺してしまっても「そんなことあったかな」と、その他のことに埋もれていますし、とんでもないプライドの高さで、そんなところでわざわざ謝るような気持ちは持っていません。そうでなければ最年少常務になったりしませんし、それを苦にして銀行を辞めているだろうし、その前に融資をすることを考える、さらにその前に銀行員になっていないと思います。持っている手を打つ、当時のバブル時代に守られたシステムにおける、優秀な最終兵器だったんじゃないかと推測しますね。
ですから、まさか半沢が復讐という目的で銀行に来たとは思っていない。岸川や浅野のように、産業中央銀行出身の「こいつ出来るな」という人を取り込んで、いつか自分の大いなる悪行のためのネジ、駒として使おうと思っていたんではないでしょうか。 - ご覧の皆さまにメッセージをお願いします。
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ここで堺さんとやったことが崇高なことで、我々にしか出来ないなんてことは1mmも思っていませんけれど、ラストの盛り上がりに向けて、将棋でいうところの長い長い手を応酬しあって、キレイな詰みまでいく、それが美しいと思います。
「やられたら倍返し」という言葉がヒットして独り歩きしていますけれど、「やったことは、やられ返される」という、やられる側からドラマを見て欲しいと思います。浅野支店長もそうだし、東田もそう「やったことは倍になって返ってくる」という因果応報です。やる側が半沢なだけで、正義側が成敗しているように見えますが、あくまでやってしまった悪いことが露呈しているだけなんです。ぼくはキリスト教の「右の頬を殴られたら左の頬を出せ」というほうが美しいと思いますし、どちらにも言えることは、「やったものは必ず返ってくる」、これをちゃんと認識して欲しいです。それがこの高視聴率がうまれているドラマの責任で、やる側が痛快なんじゃない、やられる側の理屈というものが絶対にあるんだということ、だからそういうことをしてはいけません、「倍返し」じゃない、「倍返され」なんだということをメッセージとして受け取って欲しいです。