プロフィール
テオドール・シャセリオー
Théodore Chassériau (1819 - 1856)
1819年9月、テオドール・シャセリオーは、カリブ海のイスパニョーラ島のエル・リモン (現ドミニカ共和国) でフランス人の父とクレオールの地主の娘である母のもとに生まれる。フランスに帰国後、11才でアングルの弟子となり、16才でサロンに初出品。以後、アングルの優美な線描の芸術を受け継ぎつつも、ロマン主義芸術への傾倒から、独自の道を探求。1856年10月、37才で死去。

略年表
1819年 | 0才 | 9月20日、イスパニョーラ島のエル・リモンでテオドール・シャセリオー誕生。翌年末、家族で本国へ帰国の途につく。 |
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1823年 | 4才 | 12月、外交官として父ブノワ・シャセリオーが長男フレデリックとコロンビアに旅立つ。 |
1830年 | 11才 | 9月頃、アングルのアトリエに入門。 |
1834年 | 15才 | 11月、師アングルがローマへフランス・アカデミー院長として旅立つ。 |
1836年 | 16才 | 3月、《プロスペール・マリラの肖像》はじめ、サロンに4点が初入選。3等のメダルを得る。 |
1839年 | 19才 | 2月、サロンに《スザナと長老たち》と《海からあがるヴェヌス》が入選、評判を得る。 |
1840年 | 20才 | 6月、イタリア旅行へ出発。師アングルと再会するが、決裂。翌年2月に帰国。 |
1841年 | 21才 | 8月、サン・メリ教会の礼拝堂の壁画注文を受ける。1843年に公開。 |
1844年 | 25才 | 9月、おそらくは職務上の失敗を苦として赴任先のプエルトリコで父ブノワが自殺。 |
1845年 | 26才 | 11月、オデオン座のホワイエで開かれた落選者展に《アポロンとダフネ》を展示。 |
1846年 | 26才 | 5-7月、アルジェリア方面を旅行。 |
1848年 | 28-29才 | 3月、サロンに《カバリュス嬢の肖像》などを出品。 11月、会計検査院の壁画完成。 |
1849年 | 29才 | 5月、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを授与される。 |
1854年 | 34才 | 2-3月頃、サン・ロック教会の壁画完成。 |
1855年 | 35才 | 5月、パリの万国博覧会に《テピダリウム》など5点を出品。2等メダルの受け取りを拒否。 7月、サン=フィリップ=デュ=ルール教会の半円形天井画完成。 |
1856年 | 36-37才 | 8月頃、体調不良のため、ベルギーのスパへ療養に行く。 10月8日、テオドール・シャセリオー、パリの自宅で死去。享年37才。 |