日本初、シャセリオー大回顧展のみどころ
夭折した早熟の天才
早くから画才を発揮したシャセリオーは、師アングルに「この子はやがて絵画界のナポレオンになる」と言わしめた逸材であり、若干16歳でサロンにデビューしています。やがてアングルとは決別、独自の作品世界の探求へ向かいますが、道半ば、37歳で急逝しました。
知られざる19世紀、国内初のシャセリオー展
シャセリオーの絵画作品数は260点前後とされますが、所在不明作品も多く、本国フランスでもその作品をまとまった形で見る機会は稀です。今回の展覧会は、16歳で描いた自画像から、中期の代表作《アポロンとダフネ》、最晩年の《東方三博士の礼拝》まで、絵画約40点、水彩・素描約30点、版画約19点を集め、シャセリオーの芸術を日本ではじめて本格的に紹介します。
世紀末の水脈
早すぎる死の後、表舞台から去ったシャセリオーの芸術は、世紀転換期、パリ・コミューンで破壊された後は植物が覆うパリの廃墟と化していた会計検査院の壁を飾ったその代表作の壁画の救出運動の高まりとともに、再び脚光を浴びます。本展では、かつてこの大壁画に決定的な影響を受けたギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌらの作品とともに、シャセリオーから世紀末の象徴主義へと受け継がれた密かな水脈にも光をあてます。
《気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘》(部分)
油彩・板 46×37cm 1851年
ルーヴル美術館(ストラスブール美術館に寄託)
Photo©Musées de Strasbourg, Mathieu Bertola