6月開幕
2018年ロシアワールドカップ(以下、W杯)を直前に控えて日本代表のW杯の軌跡を辿る企画。
第4弾は2010年南アフリカW杯。
2010年W杯への道のりはこれまでにないほど紆余曲折があった。
2006年W杯の惨敗を受けて、日本はジェフ千葉の名将イビチャ・オシム監督を招聘。しかし同氏は翌2007年に脳梗塞で倒れ、道半ばで代表監督の座を退任した。
後任は1998年W杯で日本代表を率いた岡田武史氏。
奇しくも、当時と同じ緊急登板での監督就任だった。
急造でのチーム作りを強いられた岡田監督だったが、W杯アジア予選は順調に白星を重ね、2大会連続の予選突破一番乗りを果たす。
日本代表史上初のW杯2大会を指揮する監督となった。
(なお、W杯3戦全敗の監督が再度同じ国を率いてW杯に臨むのは史上初)
大会前の親善試合で4連敗と言う史上最悪の状態でW杯本戦を迎えた日本だったが、初戦のカメルーン戦は本田圭佑のワントップが功を奏して同選手の得点で1-0の勝利。
実に、W杯5試合ぶりの勝利だった。
続くオランダ戦では優勝候補相手に0-1と惜敗を喫し、決勝トーナメント進出を懸けたデンマークとの運命の第3戦を迎える。
引き分けでも決勝トーナメント進出が決まる日本は本田と遠藤保仁がそれぞれ直接FKを沈めて2-0とし、終盤に岡崎慎司が駄目押し点を奪って3-1の快勝。
日本が自国開催以来(他国開催では初)となる2大会ぶりの決勝トーナメント進出を決めた。
(なお、破れたデンマークは4度目の出場にして史上初めてグループリーグ敗退となった)
ベスト16のパラグアイ戦はPK戦までもつれこむ死闘となったが、駒野友一のキックがバーを叩いて終戦。
それでも、日本は前評判を覆す素晴らしい結果を残した。
岡田監督は2大会連続3戦全敗という不名誉な記録もあり得た中、一転、日本代表史上最高の日本人監督として歴史に名を刻んでいる。
<サッカーコラムニスト 宝田雅樹>
写真提供:アフロ
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