6月開幕
2018年ロシアワールドカップ(以下、W杯)を直前に控えて日本代表のW杯の軌跡を辿る企画。第二弾は自国開催となった2002年日韓W杯。
初出場となった1998年W杯を3戦全敗で終えた日本は自国開催となる2002年W杯に向けて「白い呪術師」の異名を持つフランス人のフィリップ・トルシエ監督を招聘した。
結果的に、このトルシエ監督の抜擢は大成功となる。
世代別監督を兼任するトルシエ監督の就任期間、日本は様々な大会で好成績を収めた。
1999年ワールドユース(現U-20W杯)準優勝、2000年五輪ベスト8、2000年アジアカップ優勝、
そして、2001年コンフェデレーションズカップ準優勝と、いずれの大会でも近年の日本代表では最高の成績を収めている。
そして迎えた2002年W杯。FKスペシャリストでもある中村俊輔の落選は大きな反響を呼んだが、日本は初戦のベルギー戦を鈴木隆行と稲本潤一の得点で2-2と引き分け、W杯初勝ち点を獲得。
続く第二戦のロシア戦では稲本の2試合連続ゴールで待望のW杯初勝利を挙げた。
初の決勝トーナメント進出を懸けたグループリーグ(以下、GL)最終戦のチュニジア戦は、1点差負けでもGL突破という有利な状況。日本は森島寛晃と中田英寿の得点で2-0の快勝を収め、GL首位でベスト16へと駒を進めた。
決勝トーナメント1回戦では進境著しいトルコに0-1と惜敗するが、3戦全敗だった前回大会に比べて長足の進歩といえる。国中が熱狂したW杯だった。
<サッカーコラムニスト 宝田雅樹>
写真提供:アフロ
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