担当:崎山敏也
温泉で有名な群馬県草津町に国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」がありますが、このほど、園内に国立の「重監房資料館」がオープンしました。重監房とは全国のハンセン病の療養所で、待遇改善や自治を求めるなどの行動に出たため、「反抗的」などと判断された患者を収容していた、 いわば療養所の刑務所です。
正式名称は「特別病室」といいますが、実際には患者への治療は行われず、重罰を与えるための監房でした。
重監房は木造モルタル作りで、冬には氷点下20度にもなる過酷な環境です。もちろん暖房はなく、粗末な布団が一枚だけ。食事は1日2回。おにぎり1個、梅干しかたくわん、味噌汁か白湯だけです。1938年から1947年までの9年間で、のべ93人が収監されましたが、凍死や病死で23人が亡くなりました。
東京の多摩全生園の入所者自治会長、佐川修さんは子供の頃、栗生楽泉園で過ごし、重監房に収容された人に食事を持っていく役目を務めたことがあります。佐川さんは4月30日に開かれた記念式典のあいさつで、「昭和20年3月に草津に入り、おまえ、飯運びやれ、ということで、半年間やりました。15歳の少年にはきつかった。その半年間で、二人の人が亡くなりました。なんの裁判も調べもなしに、長い人は500日も入れられた。なんでこんなことが起きたのか、語り継いでいかないといけない」と話しました。
ハンセン病の患者は刑法などの普通の法律の適用外でした。正式な裁判もなく、また重監房は旧「らい予防法」が根拠だったわけですが、規定はしばしば守られなかったということです。
重監房資料館の中には、4畳半の独房2部屋や、医務室、廊下、取り囲む高い壁などが実物大で再現されていて、狭さ、暗さ、孤独感など当時の雰囲気を感じることができます。このほか、去年行われた重監房の跡地の発掘調査で見つかった木製の欠けたお椀や、メガネなどの患者の遺物も展示されています。患者だった人の証言映像や、亡くなった人の遺体を運び出したりした人の証言を紹介するパネルもあります。
栗生楽泉園の入所者自治会長、藤田三四郎さんは、記念式典の後、館内をみてまわりましたが、「ほんものと比べて、全く同じ状態ですね。今後は多くの若い人たち、一人でも多くの人たちに、差別を解消するために、見学者の方に、己を愛するように他人を愛してほしい。そうすれば差別が解消される。そう思っております」と話していました。
栗生楽泉園に住んでいるおよそ100人の平均年齢は84歳。高齢化が進んでいます。語り継ぐ人を今後どう養成するかも今後の課題です。
「重監房資料館」 は、草津町の中心、バスターミナルから歩いて30分、車で10分弱のところにあります。詳しくは「重監房資料館」のホームページを見るか、0279ー88ー1550まで問い合わせください。
関連情報・お問い合わせ先
- 重監房資料館
http://sjpm.hansen-dis.jp/