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東京都が去年12月に策定した結核予防計画 |
「結核」はかつては日本人の死亡原因の1位を占め、「国民病」とも呼ばれていました。国をあげての取り組みで、患者数は減り続けてきましたが、それでも、2003年の1年間で、およそ3万2千人の患者が新たに登録されています。
なかでも東京都では、2003年に新たに登録された結核患者は4千人でしたが、全国では減る傾向なのに対し、過去20年くらい、患者数はほぼ横ばいで、減る様子を見せません。このため、都では去年の12月に「結核予防計画」を策定し、対策に乗り出したんです。
減らない一つの理由は若い人の感染が増えていること。「結核が感染する病気であることを知らない」、あるいは「結核そのものを知らない」ので、対応が遅れることもありますし、「ネットカフェや学習塾といった閉鎖された空間で大勢の人が一緒に過ごして、集団感染する」という都会に特徴的な例も多く報告されています。
そしてもう一つ、都会に特徴的なのは、外国人の結核患者が多いこと。都福祉保険局感染症対策課結核係の岩本係長は「言葉が十分伝わらなかったり、習慣や文化の違いで、充分な医療を受けさせることが難しいことがある」と話します。そのため、都は外国語のできる人を「治療・服薬支援員」として登録する制度を2006年の1月から始めました。これは全国でも初めての試みで、中国、韓国、フィリピン、タイの言葉を話せる人が現在11人登録しています。
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崎山記者が支援員の荒井アオイさんにインタビュー |
タイ語支援員の荒井アオイさんは、日本語がまだうまく話せなかった頃、自分や子供の健康を守るために苦労した経験から、シェア=国際保健協力市民の会などを通じて、医療通訳のボランティアを勤めてきました。医療通訳では様々な専門用語が必要です。荒井さんたちは単に通訳するだけでなく、都の研修を通じて、結核という病気の特徴、例えば、「感染しても発病するのは10人のうち1人か2人」であることや、「他人に感染するのは、かなり重症の段階であること」などを理解して、活動してもらっているそうです。
具体的には、患者を訪問する保健所の保健士に同行します。荒井さんが訪ねたタイ人の患者は、日常の日本語はかなりできる方だったそうですが、100%、保健士さんの言うことを理解していたわけではなかったそうです。
例えば薬の飲み方。結核の薬は6ヶ月くらい飲み続けないと完全に治らないのですが、1ヶ月ぐらいでとりあえず症状が改善するので「治った」と思いこんだり、副作用もあることから、途中で飲む回数を減らしたり、飲むのをやめてしまうこともあるんだそうです。荒井さんは「タイは国民性からか、気楽な気持ちの性格の方が多いので、やめたり、忘れてしまうことがありますが、薬を飲まなければならない理由を、通訳を通じてきちっとわかってもらえば、最後まで飲むと思います」と話していました。
また、健康保険に入っていなかったり、金銭的な理由で治療費が払えない場合、公的な補助が受けられることなども説明し、治療を受けてもらえるようにするということです。
荒井さんは「タイ語の情報はまだ少ないので、力をいれてほしいし、私も医療分野でのボランティアとして、タイと日本の橋渡しをしたい」と話していました。
昔結核に感染した高齢者が再発したり、若い人の集団感染を防ぐなど、都が取り組まなければならない対策は他にもいろいろありますが、外国人の結核患者への支援は東京の結核患者を減らす大事な一つの方法です。都では今後、支援員の数や言葉の種類を増やして行く方針だということです。都の岩本係長は「結核は過去の病気ではないんです」と取材の最後に強調していました。