原作者・大山淳子さん インタビュー

1. ドラマ原作大賞に応募したきっかけ

以前、シナリオセンターというところにいたので、『ドラマ原作大賞』のことは第1回目の募集のときから知っていました。でも、その時はシナリオに専念していましたし、その後すぐ城戸賞(※映画プロデューサー・城戸四郎の理念にもとづき、城戸の名を冠した新人脚本家を発掘するため、映連「城戸賞運営委員会」が主催する賞)をとってシナリオライターとしての道を歩み始めていたので、応募するには至りませんでした。

第3回目の募集が行われていた時期は、無名だという理由でなかなか思うようなチャンスをいただけず、映像化される作品のシナリオに恵まれなかった頃で、無謀ながら「それならば原作者になって、自分の世界観を描こう」と思い立ち、ちょうど小説への転向を試みていたんです。すべて自己流からのスタートなので、今でもきちんと書けているのかどうか本当に不安なんですけれど…書いては応募、書いてはまた応募といったような感じで1ヶ月に1作ずつ、年間にだいたい10作ぐらいの小説を書きました。その中のひとつが、今回ドラマ化される『猫弁〜死体の身代金〜』という作品です。

2. 10年の“専業主婦生活”を経て、ライターに

大卒後、OL生活は経験したものの、わりと早くに結婚をし、子供にもすぐ恵まれて家庭に入ったんです。子育てと介護に追われる日々の中、専業主婦として約10年間、テレビを見る暇もなく過ごしました。ところが生活にさまざまな変化があり、長いブランクを抱えて再び働きに出ることになったんです。でも、なにか手に職があるわけでもありませんし、10年ぶりに社会へ出た私を雇ってくれるところなどありません。やっとの思いで、いくつかのパートや内職にありつけたんですけれど、それらを掛け持ちしながら子育てに励む日々が続きました。そんなときにある人が、こう言って私の背中を押してくださったんです。「やりたいことをやってごらんなさい」って。

“自分のやりたいこと”ってなんだろう…。そう考えたとき、ふと思い出されたのが、作文を書くのが得意だった小学生時代の自分の姿でした。たしか3年生か4年生ぐらいの出来事だったと思うのですが、学校の授業で書いた『文鳥が逃げたとき』という作文を、あの灰谷健次郎さん(1934年−2006年 日本の児童文学作家)に褒めていただいたことがあるんです。当時の担任の先生が、私の作文をこっそりラジオ局主催のコンクールへ応募していたようで、ある日突然、校長先生に呼び出されたんですね。てっきり怒られるものだと思い込んでビクビクしていたら、「自分の書いた作文を読んでください」と言われて…(笑)。実は、その応募先というのが灰谷健次郎さんの番組の企画だったようで、灰谷さんが自ら私の作文を選んでくださり、「ハラハラドキドキして、最後に心がホカホカする。この作者には、読者にそう感じさせるような腕前がある」と講評してくださったんです。遠い記憶なんですけれど、そんな懐かしい思い出が、私を勇気づけてくれました。ちなみに、『文鳥が逃げたとき』という作品もミステリーで、逃げた文鳥を兄妹で追いかけるという実話です。

3. 『猫弁』という作品が生まれた背景

昨年行われた授賞式で、TBSの役員さんにも「猫の弁当の話?」と聞かれましたが、ぜんぜん違います(笑)。『猫弁』とは、猫がいっぱいいる弁護士事務所のお話です。そして、この物語の主人公・百瀬太郎は、私自身が「なりたい」と思う人間像を具現化した人物。男性としてではなく、人間として憧れを抱く理想の人物を描いて、「私はこういう人が好きなんですけれど、みなさんはどう思いますか?」って、世の中のみなさんに聞いてみたかったんです。だから、受賞したときは、自分の理想とする人物像がみんなに受け入れられたんだなと思って、本当に嬉しかったですね。

この作品を書いていたときの私はというと、まったく先が見えない状態で、不安に押し潰されそうな気持ちを抑えながら、ひたすら原稿と向き合っていました。貯金も底をつきそうで、「どうして神様は私の存在を忘れるんだろう」って、自分の悲惨な状況を嘆いたりもしました。でも、『猫弁』という物語を書きながら、私自身、すごく救われたので、きっとご覧いただいた方にも元気になっていただける要素があるんじゃないかなと思うんです。こんな世の中だからこそ、明るい内容の作品が求められているように思いますし、2時間だけでもいろんなことを忘れて楽しんで、明日の活力につなげていただけたら幸いです。

4. “等身大の自分”を物語に

実は、この作品の中には、“等身大の私”が投影されたキャラクターが存在します。それは誰かというと、キムラ緑子さんが演じてくださっている、七重という50歳の女性。七重はカタカナの名称をなかなか覚えられなかったりする“マイペースなおばさん”なのですが、あれはまさに普段の私の姿なんです(苦笑)。

この作品には、私がこれまで生きてきた中で体験したことや不思議に思ったこと、また近所の人たちと交わした何気ない会話の内容など…そういった身近なエピソードがたくさん詰まっています。例えば、“主人公が猫を拾って育てる”という設定も、かつて娘が猫を拾ってきて共に育てたという実体験からヒントを得ている部分があるんです。

少々ファンタジックな設定と思われるかもしれませんが、私としては普段ごく普通に喋ったり感じたりしていることを、小説に書きとめたつもり。ふと肩の力が抜けたら、こんなに明るくて心躍るような作品が出来上がっていました。

5. 俳優・吉岡秀隆との出会い

専業主婦として過ごしていた時期は、本当にテレビをみる時間がなく、ドラマとも無縁の生活を送っていました。そこで、シナリオの勉強をはじめてから「なにかドラマ作品をみてみよう」と思ったのですが、偶然にもまず手に取った作品が、吉岡秀隆さんのご出演されていた医療ドラマ『Dr.コトー診療所(2003年、2004年、2006年 フジテレビ系)』シリーズでした。これが本当に素晴らしい作品で、特に主演の吉岡さんの存在が心に残りました。その後も多くの作品で吉岡さんをお見かけしました。あの長編『北の国から(1981年〜2002年 フジテレビ系)』は、たったの数日ですべて見終えてしまいました。

ドラマでも映画でもそうですが、どの作品でも吉岡さんの存在感というのは不思議で、たとえ脇役を演じていらっしゃったとしても、登場されるとその場の空気がふわっと変化するのを感じます。「いつか吉岡さんに出演していただけるような作品を手掛けたい」と思うようになりました。

だから、この作品をドラマ化するにあたり、北川プロデューサーの口から吉岡さんのお名前を伺ったときは、本当にビックリしすぎてただ笑うことしかできなかったんです。小説を書いたときは “特定の誰か”をイメージしていたわけではなかったのですが、言われてみると吉岡さんは百瀬のイメージにぴったり。そこで、シナリオは初めから吉岡さんをイメージして書きました。

いつかセリフをお届けしたいと思っていた吉岡さんが百瀬を演じてくださり、夢のようです。

6. 作品に込めたメッセージ

「一生懸命生きていると、どこかに必ず待っていてくれる人がいる」ということでしょうか。これは、物語を最後までご覧いただければ、きっと感じていただけるメッセージなのではないかと思います。

私自身、精神的にもすごく辛かった時に、「どこかで誰かが私のことを待っていてくれるんじゃないか」と期待しながら、そんな時期をやり過ごしていたんです。この作品が『ドラマ原作大賞』で大賞に選ばれたと知ったとき、「ああ、やっぱり一生懸命生きていれば、待っていてくれる人はいるんだな」と報われたような気がしました。たとえ、誰も待っていてくれなかったとしても…自分が“誰かを待つ人”にはなれるかもしれないですよね。

誰でも予期せぬ不幸に見舞われたり、悩んだりすることってあると思うんです。でも、どんなに困難な状況下に置かれても、一生懸命に前を向いて生きる…。その大切さを改めて感じてもらえるような作品になったのではないかと思っています。ぜひ、ひとりでも多くの方にご覧いただけたらと、心より願っています。

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