水戸黄門大学

お助け辞典(おたすけじてん)




大八車
(だいはちぐるま)
江戸時代初期に誕生した二輪の車で、砂利や農作物、木材など一度に大量の荷物を運ぶ時に重宝された。広辞苑によると「代八車」とも書き、八人分の仕事の代わりをするという意味があるという。
竹光
(たけみつ)
本身(本物の刀)ではなく、文字通り竹を削り銀箔を貼って作った刀のこと。当時貧しい武士たちは、武士の魂ともいえる刀を質に入れ、この竹光で体裁をつくろっていた。もちろん斬ることはできない。現在、芝居の小道具として使っているのもこの竹光。
殺陣
(たて)
いわゆるチャンバラシーンの演技のことで、立ち回りともいう。時代劇ファンにとってはまさに醍醐味。収録は監督以外に殺陣師が参加して演技指導を行い、迫力ある映像を事故のないように撮るため、特に入念な打ち合わせが必要。印籠を出す直前のひと暴れは、ラストの殺陣=略して「ラス殺(ラスタチ)」と呼んでいる。
旅烏
(たびがらす)
決まった住まいがなく、旅から旅へ渡り歩く人のこと。現在の黄門様役である里見浩太朗が助さんを演じたのは第3部からだが、第2部で初めてゲスト出演した時は「旅烏」の役だった。

ちゃっかり八兵衛
(ちゃっかりはちべえ)
『水戸黄門』第40部から登場のキャラクター。黄門様のお供として諸国漫遊の旅をしている。地方の名物に目がない食いしん坊で、割り箸を再利用するなどエコの知識も持っている。うっかり八兵衛は育ての親。
茶店
(ちゃみせ)
往来する人々のため休憩所で、お茶やだんごなどが販売されていた。街道沿いに多く、街中にはなかった。江戸では出茶屋、京阪地方では掛茶屋などとも言う。地方によってサービスや値段に違いがあり、京阪では、朝煎じた粗茶をそのまま終日使う店も珍しくなく、客単価はおよそ5〜6文、高くても十余文程度だったという。また、花見のシーズンにだけオープンする店もあった。茶店は、諸国漫遊の旅を続ける『水戸黄門』では欠かせないシチュエーションだ。

(つえ)
日本中を徒歩で旅している黄門様にとって、杖は必需品。時に悪人たちを杖でたたいたり、ついたりして退治もする。
初代の黄門様から亀甲竹(きっこうちく)とういう種類の竹を使っていて、長さは俳優の背丈に合わせ、毎回作り変えられる。撮影現場には常に数本の杖が用意されていて、立ち回り、アップ撮影などシーンによって使い分けている。
津軽凧
(つがるだこ)
竹ではなく地元のヒバ材を骨組み使っているのが特徴。和紙の絵は、赤や黄色など鮮やかな原色で勇壮な武者絵が描かれているものが多い。江戸時代、貧しい藩士らが内職で作りはじめたという。
綱吉
(つなよし)
『水戸黄門』は江戸元禄期の話。その時代の将軍が、第5代の徳川綱吉。番組では毎シリーズ、第1話と最終話に綱吉が登場することが多く、光圀を旅に送り出したり、帰郷した際に旅の土産話を聞くのを楽しみにしている。光圀と綱吉の父・徳川家光は従兄弟(いとこ)にあたり、綱吉は光圀を「ご老体」と呼ぶ。
爪印
(つめいん)
親指の先に墨や朱肉を付けて書面に指紋を押すことで、現在の印鑑同様に認めの証とされた。中国から伝わり江戸時代によく使われた。拇印(ぼいん)と同じ。偽造防止などを目的に金貨や銀貨などに打つ極印(ごくいん)も江戸時代盛んに使われた。ほかに、銅や鉄製の印を熱してものに押し当て印を押す烙印(らくいん)・別名焼印(やきいん)などもある。
釣書
(つりがき、つりしょ)
見合いの際に交わすプロフィールを書いたもの。互いの家柄などが“つりあうか”を見ることから、そういわれたともいわれている。

木偶の坊
(でくのぼう)
最近あまり聞かなくなった「でくのぼう」という言葉、漢字では「木偶の坊」と書く。「木偶」は木彫りの人形のことで、転じてものの役に立たない人間のことをさす。
鉄砲水
(てっぽうみず)
集中豪雨などで水量を増した川が、土砂や流木を伴って一気に流れ出ること。土石流ともいわれる。現代ほど土地の整備がされていなかった昔は、その被害に遭うことも多かった。語源は、かつて山から切り出した木材を、せき止めた川にいったん浮かべ、その後せきを切って木材を下流に押し流した「鉄砲流し」という運搬方法からきているという。
手 妻
(てづま)
江戸時代の奇術(手品)のこと。見世物小屋などで、手妻遣いが口上を述べながら、桟敷席のお客を前に華麗な手さばきを披露する。手妻には和傘や玉、扇子、布切れなどを使ったものがあるが、特に大掛かりで華やかなのが、水を自在に操る水芸。第33部で、旅から戻った黄門様たちが江戸の町で手妻を楽しむシーンがあった。
手習い塾
(てならいじゅく)
江戸時代の初等教育機関で、寺子屋(てらこや)、手跡指南(しゅせきしなん)ともいう。6〜13歳くらいの庶民の子どもが通っていた。先生が書いたお手本を何度も模写しながら文字を覚え、読み書きを習得すると、次はそろばんを教わった。当時は、法令などが書かれた触書(ふれがき)を読んだり、年貢や田畑の面積を割り出す必要から、農民も読み書きそろばんの知識は必須。子どもたちは1日6時間くらい学んだ。
寺子屋
(てらこや)
今の小学校のようなもので、6〜13歳くらいの子を対象に、読み書き、礼儀作法、のちには算術(そろばん)、女子には裁縫なども教えていた。師匠(先生)は浪人や僧侶、医師、書家、町人とさまざま。月謝は定額ではなく、子供たちの家柄などに応じ謝礼として支払われた。一般的に授業は一日5〜6 時間、休みは1日・15日・25日の月3日間だけで、夏や冬の長期の休みもなし。月末や年末には試験もあった。義務教育ではなかったが、武家や商家など教育熱心な家庭も多く、子供たちは案外忙しかったようだ。
天竺渡りの宋胡録
(てんじくわたりの
すんころく)
「天竺」とはインドのこと。昔、日本や中国などはインドをこう呼んだ。「宋胡録」はタイの古い陶器。メナム川中流地方のスワンカロクで主に作られ、日本には桃山〜江戸時代初期に伝えられた。「スワンカロク」を日本流に発音し「すんころく」となった。
天秤棒
(てんびんぼう)
両端に荷物をぶら下げ、肩に担いでバランスを取りながら運ぶための棒。魚売りなどの行商や土砂の運搬にもよく使われた。
伝馬船
(てんません)
沖に停泊している本船と陸地とを往復して荷物を運ぶためのもの。一人で櫓(ろ)を漕いで自在に操舵できるので機動力に優れている。また、街道の宿駅間を、荷物を乗せて運ぶ馬のことを「伝馬」という。

問屋場
(といやば)
街道の宿駅で伝馬や人足の出入りチェックや継ぎ立て(乗り替え)、休憩などを行う施設のこと。
湯治
(とうじ)
現代のように医学の発達していなかった江戸時代、病気の治療は薬剤を用いるほか、おまじないや鍼灸、そして温泉に浸かる湯治などに頼っていた。物見遊山を兼ねた湯治の旅は庶民にとって憧れでもあり、実際には裕福な人しかできなかったようだ。ところで、『水戸黄門』第7部(1976年放送)の旅立ちのきっかけは、ご老公の湯治。西山荘で松の木から落ちて腰を痛めたため、療養を目的に東北への世直し旅が始まった。
湯治宿
(とうじやど)
湯治宿は今の温泉旅館のようなものだが、当時は行楽目的というよりも病気やケガの療養を目的に、長期滞在したり、農閑期に地元の農民が疲れを癒す場所だった。金銭的にも時間にも余裕のある人たちには湯治の旅が人気で、「箱根七湯めぐり」などが有名。
道中日誌
(どうちゅうにっし)
合田雅吏扮する5代目格さんが欠かさないもの。旅に出る時は新しい日誌を用意し、道中のできごとを事細かに記録。旅を終えて西山荘に戻るとご意見番の山野辺兵庫に見せるため、遊び好きな助さん、そして時には老公にとっても、日誌はある意味“けむたい”存在。助さんに生真面目ぶりをからかわれても「日誌は毎日書くから日誌なんだ」と言って譲らない。
唐丸駕籠
(とうまるかご)
唐丸駕籠は、罪人を護送する際に使う駕籠のこと。唐丸とは新潟県原産のキジ科の鳥で、鳴き声を鑑賞する長鳴鳥(ながなきどり)の一種。天然記念物に指定されている。その唐丸の飼育用の円筒形の竹駕籠が、罪人の護送にも使われていた。
徳川綱吉
(とくがわつなよし)
『水戸黄門』は江戸元禄期の話。その時代の将軍が、第5代の徳川綱吉。番組では毎シリーズ、第1話と最終話に綱吉が登場することが多く、光圀を旅に送り出したり、帰郷した際に旅の土産話を聞くのを楽しみにしている。光圀と綱吉の父・徳川家光は従兄弟(いとこ)にあたり、綱吉は光圀を「ご老体」と呼ぶ。
宿直
(とのい)
現代読みは「しゅくちょく」だが、当時は「とのい」と言われた。意味は、役所や宮中などに泊まり込んで警備にあたること。「殿居」とも書く。
賭場
(とば)
サイコロの目を当てる博打(ばくち)を行なう場所のこと。お娟が壷振りに扮する場面がある。
酉の方角
(とりのほうがく)
かつて日本や中国では、十二支を使って方位を呼んでいた。北を子(ね)とし、北→東→南→西の順に30度ずつ12に区分。東が卯(う)、南が午(うま)、そして西が酉(とり)だ。ちなみに北北西は牛(うし)、南南西は未(ひつじ)などとなる。
鈍付
(どんつく)
広辞苑によると「はたらきの鈍いこと。愚鈍なこと。太神楽(だいかぐら)で太夫の相手を務めて滑稽を演ずる道化の者」など。


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