2011年3月、東日本大震災と原発事故で、福島県南相馬市小高区から愛媛県に避難した一家がいる。渡部寛志さん一家。南相馬市小高で農業をしていた渡部さんは、住まいと農地が第一原発から20キロ県内の旧警戒区域に入っていたため強制避難となり大学時代を過ごした愛媛県に避難した。愛媛ではみかん栽培や養鶏と賠償金でなんとか生計を立てていた。現在、中2になる長女・明歩さん、小4になる明理さんは、休みの日には父寛志さんの手伝いをしている。
その寛志さん、一昨年、南相馬市小高区が避難指示解除となり、また、去年、コメの作付け制限が解除になるなど、復興に向けて歩み出したことで故郷に戻る意志を固め、小高に戻って、コメ作りを再開した。
だが、寛志さんは、愛媛での農業も続ける、という。その一番の理由は、子ども達に何の屈託もなく自然と親しんでもらいたいからだという。原発事故の影響がどう残っているのかわからない状況では、故郷に戻っても、子どもたちに農業の手伝いをさせる気にはならないのだという。
そのため、春の田植え時期の4月、5月と秋の収穫の時期10月の3か月間だけ、福島に住んでコメ作りを行い、子ども達も小高の学校に通わせるという、前代未聞の二重の農業生活を送る計画をたてている。果たしてそんなことがうまくいくのだろうか?
ディレクター:桶田敦(テレビユー福島)・森田雅章(あいテレビ)