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過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 
第六〇五回('16年7月3日 放送)
 時事放談アーカイブスペシャル

出演:
中曽根康弘 元総理/宮沢喜一 元総理/後藤田正晴 元副総理/塩川正十郎 元財務大臣ら

岩見

「この3年間を振り返って小泉政治の印象ですね、どういう風に」

後藤田

「そうですね、3年経って、50%前後の支持率があるんですね。これはやはり公正に評価しますと、小泉さん自身の政治の運営、これはそれなりに私は成功していると評価するのは定石だろうなと思いますね。

ただしかし、それが果たして日本の国、あるいは日本の国民の幸せを保障するような結果になるかどうかっていうことになると、にわかに断定はできない。改革というのは時間が要りますよね。まだ途中ですよね。

基本的に小泉さんのやり方を見ていて、日本を変える、党を変える構造改革がなければ日本の再生はないんだとおっしゃっていますよね。確かに今デジタル化の時代とか、あるいはグローバル化の時代といって、内外ともに大変急激に変化している。その変化に日本は必ずしも対応が立ち遅れて、このままではどうにもならんということも事実ですから。変えたあといったいどういう風に日本の姿を描いていくんですかと、それからその時期の日本の国民の生活、これはいったいどういう生活になるんですかといったような先行きについての国家像を国民に明確に示していないんじゃないかと。

そうした中でどんどん、ついてこないのは守旧派だと言うが、それは守旧派の責任もあるかもしれないが、やはり21世紀で、小泉さん自身が日本を変えるとおっしゃるなら、自分なりのそういう姿を国民に説明しなくては、一番責任があるのは小泉さんご自身ではないのかと。

しかもおやりになっていることを見ると、テレビで批判するのはいいとは思わないが、今は強者の論理が強すぎると。やはりどんな時代になっても立場の弱い人、気の毒な人は出ている。ならばそういう人に対して政治の光をどう当てるかということは責任だと思う」

岩見

「政治のテクニックはなかなかのものだが、内容についてはいろいろ問題があるというご主旨ですよね。野中さんはもっと厳しく見ていらっしゃるんじゃないですか」

野中

「まあ、同じ見方でして、私はワイドショー政治だと思っている。非常にメディアの使い方、あるいは短い言葉、これはテロ事件でも怯まず、そして経済改革でも、構造改革なくして…改革は順調に進んでいると。あのような一日二回の総理ぶら下がりっていうのは小泉さんになって初めて、そして記者の質問はせいぜい1問か2問。じゃあ、テレビでじっと聞いている人は簡潔で勇ましい男前がやっている、頼もしいなというぐらいで、中身はどういうことを言っているのか、その形はどういう形で改革していくのか、その先にはどんな改革の成果が見えるのかというのが全く欠落したままずっときているというのは不幸だと思う。

そもそもさかのぼったら私は10年余り前の、政治改革を標榜して選挙制度の改革をやった、そして政党に税金から助成金もってくる、あの改革というのは先ほどおっしゃったけど、我々守旧派と言われたが、善玉と悪玉があって、やっていくというのは確かに政治としては面白いかもしれない、マスコミも扱いやすいかもしれないが、これが10年後のわが国の政治を見たときに、あのとき目指したような二大政党の本当のよい形になっているのかどうかということを考えたり、政党助成金という税金から直接、政党が金を受けるというものが本当の政治改革につながったのかと思うと、いったいあのとき何を隠そうとしたのか、何を目指そうとしたのか知らないが、あそこから根があると私は思ってきましたし、この3年間、連続3年3万人を超える自殺者がいる、これは労災保険の適用を受けた人は入りませんから。だからその数を入れると一日百人がだいたい自分の意思で自分の命を絶っているということなんですね。一昨日私が知ったのは、中小企業の社長ですが、経営が行き詰って、自殺しました。

やはりこういう人たちが命を絶っていく悲惨さ、さっきおっしゃった立場の弱い人に対する目配りが足らないし、年いって生きているのが、我々はまだマシな方ですけど、生きていることが悪いみたいな、そんな世の中にだんだんなってきているのではないかとそういう不安と、もうひとつはやはり、この国をこういう形の国にしたいとか、あるいは世界的にこういう戦略でこの国の歩みをしていきたいという、国家戦略もなしに、道路と郵政とやったらいいみたいに、ヒステリックにやっている、それをまたマスコミが、またマスコミを言うが、マスコミが追従して、果たすべき役割を果たさないというのは、かつて我々が子供の頃から青年期にかけてあの戦争に入っていったときと非常によく似ている。私は自分の当時を振り返りながらそんな気がしてなりません」