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第三六八回('11年10月2日 放送)
 「これからの民主党」
 ゲスト: 前原誠司 氏 / 増田寛也 氏

― “初めての予算委員会”に閣僚タジタジ…

増田

「人事を大変融和人事でまずそこを落ちつかせようということになると、どうしても人事の考え方は適材適所と。私も県庁で毎年毎年県の人事異動を聞かれたときに、幾つか目玉を入れつつ、でもどうしてもそうでないときは適材適所としか言いようがなかったんですが、適材適所はどんなときでもつながりますけどね。

だけどやっぱり特徴ないとどうしてもそうなってしまうんで、私は、実際にマルチとかそういうものに過去取りざたされた消費者担当大臣でありますけども、一方でもっと何かこう、もう終わった人事でありますが、プラス面のね、この人はというのはやっぱり1人2人というかね、目玉閣僚というんでしょうかね、は、せっかくスタートするわけですから欲しかったですね。それが適材適所でやっぱりどうしてもなかったんで、そちらのほうばっかりやっぱり私も目が行ってしまうということはありますね」

御厨

「なるほどね。前原さんはどうでしょう。これ、ずばり」

前原

「人事というのはトップの一番大事な手腕が問われるもので、私は野田総理なりの思いがあってやられたんではないかという気がしますね。

例えば一川防衛大臣については防衛問題にあまりお詳しくないとおっしゃっていたんですが、実は私が政権交代の直後国土交通大臣になりまして閣議の隣が北澤俊美防衛大臣だったんですね。北澤大臣が、おれはあんまり防衛問題知らないんだと。ちょっと前原君、国土交通大臣とかわろうかなんてこともおっしゃってたんですが、2年間やられて、知識はやはり後でついてくる、しかし役所を掌握したり、あるいはアメリカとの交渉なんていうのはなかなかのタヌキぶりを発揮されましたよね、北澤大臣はいい意味で。

ですから私は、政治家というのは知識だけではなくて交渉力とか、あるいは役所をまとめる力とか、そういう意味では一川大臣はそういう能力を発揮されると思いますよ」

御厨

「なるほど。増田さんどうでしょう。、民主党を我々が見てて、ややどうかなと思う人たちって、本当にいま前原さんが言ったように化けますかね」

増田

「うーん、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界で大化けしてほしいというふうにも思いますけども、やっぱり国民大臣なんでですね、私はきちんとした仕事をしていただく上では、やっぱり国民大臣を支える官僚という組織があって、それで明らかに前のお2人の方は、前任の2人の総理はですね、そことの間が完全にこう断ち切れてしまってたんですね。

国務大臣として内閣に入っていますので、自分の省のことだけじゃなくて、大きな判断がやっぱりできるだけの人を選んでるはずですから、省のことについて相当深く官僚を信頼して、その上で大きなスケールの判断をするという、そういうふうに。私は、前の2代の内閣は必ずしもそこがうまくいってなかったんで、そういう点で皆さんが大化けしてほしいなと思いますね」

御厨

「前原さん、どうでしょう、やっぱり官僚に対する民主党政権の態度というのは、どうもずっと私たちも見てても、割合最初は非常に敵対的であったり、「使わない」と言ったりするんですけど、3代目にしてようやくそこはどうなんでしょう、少しこう緩ましてくるのか、あるいは…」

前原

「いや、初めからうまくいくというのは、それはないですよ。ただ、その初めの考え方というのは大事で、例えば我が党の中でも政治主導とか官僚とのつき合い方を初めから間違ってる議員というのは結構いましたですよ。

例えば野党のとき部門会議で、野党だと官僚を面罵して偉そうにするのが野党の議員だ、あるいはそれが政治主導なんだというような人たちも結構いましたですよね、当選の若い人たちなんかで。それは全く政治主導ではないですよね。

ただ、そう思ってる私でさえ、初めて政権交代があって、国土交通大臣にならせていただいて、国土交通省というのは利権官庁みたいなイメージがあるじゃないですか。一番自民党色の強いところかなあと思って入って、身構えるわけですよね。身構えて、初めはなかなか信頼できない。けども、仕事をしていく上でいろんなところで信頼できる目が見えてくるんですね。

もちろん全員が全員信頼したかと言われると、正直言ってそうではないですけども、信頼できる、仕事ができる人間というものも見えてきますので、そういった人たちをうまく使う、生意気な言い方ですけども使う、努力してもらう。そして、例えば成長戦略会議なんかはその幹部はみんな同席して、同じ認識を持ってもらって、そして同じ目標に向かって政策誘導していくと。

やり方によっては、私はうまくいった面もあるしうまくいかなかった面もあるし、そういう意味ではやはり試行錯誤を2年間してきた面もあるんじゃないでしょうか」