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第二六二回 ('09年7月26日放送)
 「郵政選挙から4年!今度は何を選ぶのか?」
 〜わくわくする選挙〜
 ゲスト: 野中広務 氏 / 半藤一利 氏

― 前代未聞の「解散予告」。そして「解散」
御厨

「自民党にとって、今回の解散は、ある意味、悲劇的じゃないですか?」

野中

「結果的には、追い込まれてグチャグチャになって解散したと、残念な気持ちがしました。第一、東京都議選の敗北が決まった時、最初に『地方の選挙と国政とは違う』という麻生首相の会見があった。もう情けなかったです」

御厨

「そうですか」

野中

「東京は、日本の首都であり、この秋には、8年先のオリンピックの開催が決まるんです。多くの国家的プロジェクトを持っている都議選の敗北を、一地方選挙と位置づけたところに、自民党の限界があったと、悲しい思いで、本当に涙がこぼれました」

御厨

「半藤さん、自民党議員の中にも『今、解散やったら、集団自殺だ』という声もあったようですが」

半藤

「なぜ、都議選で自民党が敗北した時、麻生さんの所へ、乗り込んでいって『これは由々しきことで、もう少し責任を考えろ』と言う人がいなかったんでしょうかね?」

御厨

「そうですね。都議選惨敗の夜に誰も公邸に行かなかった。解散を阻止するならこの日だと思うんですが」

野中

「いや〜、人がいなかったんだと思いますね。私の時には、竹下元首相が、私に電話してきて『参院選の出口調査を知ってるだろう。芳しくないから、橋本首相にそろそろ腹を固めておくように、君から言いに行け』と言われまして、私は公邸に参りました」

御厨

「はい」

野中

「そして『橋本さん、聞いておられますか?』と申し上げたら、『分かってる。開票の途中で、俺も出かけていって、そして腹を決めておることをキチンとやる』と、橋本首相はおっしゃいました」

御厨

「そうでしたか」

野中

「やっぱり、誰か、首相経験者、現役を去った人でも、そうでない人でも誰かが、行くべきです。そういう人はね、裏でゴソゴソやってるんですから、そういう人の中からやるべきだと思いますね」

御厨

「なるほど」

野中

「あの時に麻生さんに『自らの責任をハッキリと侍らしくやれ』と諫言をする人がいなかったのは今、日本政治の不幸だと思います」

御厨

「半藤さんは、どうですか?」

半藤

「多分、麻生首相は、孤独なんでしょうね。ご自身はすごく人気があると思っているんでしょうけど、本当は人気なんか無いんですよね、あの方は、最初から」

御厨

「う〜ん」

半藤

「総裁選で、自民党員から70%の票を受けたから、物凄く人気があるように勘違いしてますけども、実はそんなに人気がないから、それまでの総裁選では、落ちてきた訳で」

御厨

「なるほど」

半藤

「人気が無いのに、自分では、人望があると思ってる。だから今回も、周り人は、全く知ったこっちゃないんでしょう」

御厨

「それと『解散の予告』。『解散』ではないんですね。この時も、誰も反対の声をあげずに、しかも新聞の号外が出て、既成事実になって。もし野中さんがおられたら?」

野中

「私なら、当然、その日のうちに反対します。党内で手順を踏んだ協議をやって、そして『解散』をどうするかを決めるべき立場である人達が、誰も動かずに首相自ら『解散を予告』し、それから推測して投票日が8月30日になってしまう。今まで私にも、経験ありません」

御厨

「そうですよね。その後に皆で『両院議員総会だ』と言って書名を集めても、遅い感じがしますが」

半藤

「これまた変な話ですね。自民党の皆さんは、内閣不信任案は否決したんですよね。でも、その次の日に署名を集めてる。これは不思議ですよ。野中さんにお聞きしたいんですが、自民党はこんなに情けないんですか?」

野中

「いや〜、こんな情けない自民党にしちゃったんですなぁ。やっぱりね、先人達が半世紀、紆余曲折あっても、政権を担ってきたんです」

御厨

「そうですね」

野中

「それは政権の重み。つまり国民を幸せにして、安心させるようなそういう責任政党である自覚があった。しかし、ここ1年ほどは、そんなものは無くなって、自分をどうするか、目先の利益をどうするかという状態になってきたように思います」


― 「解散」のタイミングについて
御厨

「この2週間の動きと『解散』は、何となく無茶な戦争に突入した時代を思い出しますが、半藤さんどうでしょう?」

半藤

「確かに、先の戦争でも、どうにもならないギリギリに追い込まれて、他に道が無いんだということで突入した。でも実は、他を選択すべきチャンスはあったんですよ。それを全部見逃したような形で、最後のギリギリになっちゃった」

御厨

「野中さん、やっぱりチャンスは、去年の10月の冒頭解散だったのでは?この辺はどうお考えですか?」

野中

「私は、一番近いところで、鳩山前総務相を辞めさせた瞬間。これはね、一番直近の解散の時期だったと思いますね」

御厨

「そうですか」

野中

「あと、やっぱり都議選で、敗北した我々の責任は重大で、その意味においても麻生さんが綺麗に辞めて、そして次の総裁を決めて、選挙をやる。それもやられなかった」

御厨

「半藤さん、ズルズルと決断できないで、傷がドンドン大きくなって。この10ヶ月は終戦を迎えるまでの日本を思い出させるのでは?」

半藤

「そうですね。日本は終戦を、なかなか決断できなかった。あの時は、アメリカの連合国がありますから、なかなか自分達で勝手にとはいかなかったでしょうけど、もう少し早く決断できたと思うところはあります。ドイツが負けた時に『分かった』という形になっても良かった」

御厨

「なるほど」

半藤

「それもやらないで、ズルズル、ズルズル。こういう時、上に立つ人は、なかなか決断できないのでしょうけども、麻生さんは、特に自分で『国民に凄い支持があるんだ。大丈夫だ』という勘違いが加わって、どうしようもなかったんでしょうね」

御厨

「参院選で惨敗して、都議選で惨敗して、こういう感じは昭和史で見た場合と、幕末で見た場合とではいかがですか?」

半藤

「幕末の方が合うようが気がします。徳川幕府のガタがきて、どうにもならなくなった時に、将軍様だけが『俺がやっていれば大丈夫だ。まだ勝つんだ。だから心配ない』という風に思ってらして、最後は『解散総・選挙』で」

御厨

「なるほど」

半藤

「これは反対勢力が物凄く強いのを分かっていながらやった『鳥羽・伏見の戦い』だと思うんです。『鳥羽・伏見の戦い』は、徳川慶喜が周りの意見を聞かないでやったわけで、あの時は『錦の御旗』が、あったんすが、今は『錦の御旗』がありません」

御厨

「そうですね」

半藤

「でも今『錦の御旗』があるとすれば、それは、私たちの『世論』だと思いますね」