「よりよい日本人になろうと必死だった」。沖縄戦で米軍が最初に上陸した阿嘉島で、生まれ育った垣花武一さん(84)。軍国少年だった当時の自分をこう振り返った。 学校現場では、沖縄の方言を使った子どもたちに「方言札」をかけて、罰することさえあった。垣花さんはこうした差別や屈辱に耐えながらも、日本人として認められようと必死に軍に協力した。しかし、大叔父夫婦がスパイの嫌疑をかけられ、日本軍に処刑されたことで、裏切られた思いを強く抱くことになった。 一方、元兵士の柴田収二さん(91)は、沖縄戦で住民を巻き込んでしまった罪の意識を抱えながら、戦後を生きてきた。「差別のようなかたちで沖縄の方だけが亡くなってしまった」。こう話す柴田さんだが、戦時中は「捕虜になるよりは自決すべき」と信じ、住民に自決用の手榴弾を手渡したことを告白した。 今なお重い基地負担という差別構造が残る沖縄で、住民と元兵士の「最後の証言」を取材した。
制作:TBSテレビ
取材:西村匡史 |
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