![]() ![]() 2013年4月、長い間、母親の患者認定を求め法廷で闘っていた溝口裁判で、原告勝訴の判決が出た。 ![]() 公式確認から57年。水俣病の歴史は裁判の歴史。何度も問題の収束を図る国に対し、状況を変え、突破口を開く大きな力になってきたのが、「支援者」と呼ばれる人たちだ。 公害の原点と言われる水俣には、45年ほど前、患者たちの支援を目的に全国から若者たちがやってきた。その数は500人を超えると言われる。彼らは水俣病を、近代化の歪みの象徴と捉え裁判闘争や患者の生活支援にのめり込んだ。 ![]() そして今でも、30人あまりの「支援者」たちが水俣で暮らしている。かつては彼らの行動を煙たがる市民もいたが、すっかり地域に溶け込み今でも患者たちの支援を続けている。 若かった彼らも60代から70代になった。今、彼らの子供たちが第二世代として活動を始めている。人生の大半を費やした水俣病から彼らは何を見つけたのか。そして子供たちは、何故、水俣で生きようとしているのだろうか。 ![]()
制作:RKK熊本放送
ディレクター:井上佳子 |
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