![]() ![]() 戦争には、伝えられた戦争と伝えられなかった戦争がある。 ![]() 波打ち際をはいずり、鉄条網を突破しようとする兵士たち。戦争が引き起こす異常な緊張感。迫りくる死の恐怖…。1941年12月8日午前2時15分、マレー半島のコタ・バルで、敵前上陸が決行された。 あの日から70年。アジア太平洋戦争の始まり「コタ・バル」は、遠く離れた太平洋での出来事に取って代わる。真珠湾奇襲攻撃。 “アジア太平洋戦争の始まりは、旧日本海軍によるハワイ真珠湾攻撃”、多くの日本人が、そう思っている。しかし事実は、真珠湾攻撃より1時間以上も早く始まったマレー半島コタ・バルでの敵前上陸によって戦争の火ぶたは切られた。 ![]() 武田義雄さん(90)は、18歳の時に久留米にあった第十八師団の歩兵連隊に入隊。初めての実戦がコタ・バルでの敵前上陸だった。「もうトーチカからどんどん撃ってきてですね。背中に背嚢や、米や弾薬を背負ってましたけど、その背中に敵弾がブスブスと当たりました」 日本軍が初めて敢行した敵前上陸は当時の国民を奮い立たせた。福岡県出身の洋画家・中村研一が描いた「コタ・バル」の戦争記録画は全国で喝采を浴び、その快挙は小学校の教科書にも掲載された。しかし終戦後、「大東亜戦争」から「太平洋戦争」へと呼び名が変わり、敵前上陸を称えた教科書のページは墨で黒く塗りつぶされた。戦史に刻まれるはずのコタ・バルの名は、なぜ、歴史の闇に消えてしまったのだろうか。 ![]()
取材・構成:西嶋真司(RKB毎日放送)
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