![]() ![]() 2011年5月24日、水戸地裁土浦支部。この日、「布川事件」の二人の元被告が再審無罪を勝ち取り、44年ぶりに冤罪を晴らした。見守る大勢の支援者の中には、一足先に自由の身となった「足利事件」の菅家利和さん、「氷見事件」の柳原浩さんの顔も見えた。 そしてもう一人、万感の思いで再審無罪を受け止めた男性がいた。「狭山事件」の石川一雄さん72歳だ。1963年に埼玉県狭山市で起きた女子高校生誘拐殺害事件、いわゆる「狭山事件」で犯人とされ、半世紀近くも潔白を叫び続けている。 ![]() 石川さんは一審で死刑、二審で無期懲役、最高裁で上告を棄却され、31年7ヶ月を獄中で送った。1994年仮釈放の身で狭山に帰郷し、二年後に結婚。以来妻と二人三脚で冤罪を晴らそうと奔走している。現在三度目の再審を東京高裁に請求中だ。 ![]() 多くの冤罪事件と同様、「狭山事件」も自白が最大の証拠とされている。石川さんはなぜ偽りの自白をしたのか。石川さんを裁いた「狭山裁判」では自白と物的証拠の食い違いをどのように説明してきたのか。判決には謎と疑問が多く、野間宏、佐木隆三、大野晋など多くの文化人や学者が注目、日本の民主主義の危機と憂える声が高まった。しかし再審の壁は厚く、司法の場での門前払いが続いた。 ![]() ようやく動き始めたのは、国民の司法参加、裁判員制度がスタートした2009年だった。裁判所が初めて証拠開示勧告を出したのだ。 証拠開示と事件の解明はどこまで進んでいるのだろうか。被差別部落で生まれ育ち、貧困のため義務教育も修められず、読み書きも満足にできなかった石川さんは、拘置所で文字を獲得した。そうして書き綴った獄中日誌や短歌も繙いていく。
取材・構成:宇野淑子
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