![]() ![]() 木村緋紗子さん(73)。仙台に移り住んで34年になる。木村さんは被爆者として、宮城県内の学校などを回り被爆体験を子どもたちに語る「語り部」の活動を続けている。また県内の被爆者らで作る「宮城県原爆被害者の会」の事務局長も務め、被爆体験を語り継ぎ、核兵器の廃絶を訴える活動を推し進めている。 ![]() しかし県内に住む被爆者も高齢化が進み、会員は減少の一途だ。会の存続が危ぶまれる中、木村さんは被爆者の子どもにも活動への協力を呼び掛けるなど奔走する。 木村さんは8歳の時出身地・広島で被爆。父や祖父ら家族と親類8人を亡くした。自らは祖父の別荘の中にいたため一命はとりとめたものの、今も放射線の後遺症と見られる病気と闘っていて、体には8度もメスを入れている。 ![]() 原爆投下から65年。木村さんは初めて、自分が被爆した広島市内の祖父の別荘があった場所を訪れた。熱線で焼けただれ、苦しみながら死亡した祖父。木村さんは核兵器廃絶への思いを新たにする。また、自分が卒業した広島市内の小学校を訪問した木村さんは、宮城の子どもたちとの原爆への意識の差も改めて痛感し、語り部の必要性を再認識する。 ![]() そんな中チャンスが訪れた。家族を奪った国アメリカに、被爆者の代表として訪問することになったのだ。憎しみを訴えに変えた木村さん。アメリカの人たちに核兵器の廃絶を強く呼びかけた。 7月、宮城県の原爆被害者の追悼式。仙台の高校生たちが自ら手を挙げ、被爆者の詩を朗読した。きっかけは以前聞いた木村さんの被爆体験。「どんな方法でも良いから語り継ぎ、原爆の恐ろしさを伝えて行ってほしい」。そんな木村さんの願いは、ヒロシマから離れた地に、ゆっくりと根付き始めている。 ![]()
製作:TBC東北放送
担当:佐藤友寛 |
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