![]() ![]() 2010年8月6日、被爆65年の「広島原爆の日」は特別な1日となった。式典には、原爆投下国アメリカの駐日大使が初めて参列した。そのアメリカ大使を目の前に、秋葉広島市長は、異例の平和宣言を読み上げた。 「今こそ、日本政府の出番。『核の傘』からの離脱を」―― この宣言に至るまで、広島の反核・平和運動には、長い紆余曲折があった。それを象徴する人物が、沖縄本島北部の山岳地帯「やんばる」にいる。 「広島を伝えるとはどういうことなんか」白く長いひげを生やす月下美紀(つきした・よしのり)さん(69)には、虚無感が漂う。月下さんは広島で原爆に遭った体験をもとに、反核・平和運動に奔走。バチカンでローマ法王と面会し、法王のサイン入りの平和のメッセージを世界へ発信して、脚光を浴びたこともある。しかし、その後、運動に限界を感じ、10年前、やんばるの廃屋に移り住んだ。今は、人との交わりを断った生活を送る。そして、月下さんの挫折は今年、繰り返された。 ![]() 「核なき世界」への期待が託された国際会議。「世界で唯一の被爆国」である日本の首相・外相は、ともに欠席した。開幕当日、鳩山首相(当時)は沖縄で普天間問題に対応していた。老骨に鞭打って現地入りした被爆者からは、深い失望の声が漏れる。「核廃絶の先頭に立つ」はずの被爆国首相が、核廃絶への交渉よりもアメリカの基地を優先――核の傘の下から核廃絶を訴えてきた日本の矛盾があぶりだされた。それこそが、月下さんの挫折の理由だった。 日米安保改定から半世紀の節目に、核の傘を問う。 ![]()
ディレクター:藤原大介
制作:RCC中国放送 |
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