![]() ![]() 19世紀末頃からフィリピンに渡った日本人移民は、太平洋戦争によってその運命を大きく狂わせることになる。苦闘の末、ようやく豊かな移民社会を築き上げた日本人移民の多くはフィリピン人女性と結婚、子供も生まれ、ささやかだが幸せな日々が続いた。ところが、旧日本軍のフィリピン侵攻に伴い、彼らは軍人、軍属として徴用された。隣人であり、親戚であったフィリピン人と、敵同士として争わなければならなかった。多くの人が命を落とした。 ![]() そして、生き延びた人は日本に強制送還され、子供たちの多くはフィリピン人母とともに残された。終戦時、両親ともに亡くし孤児となった二世も少なくない。戦後の反日感情の強いフィリピンで「ハポン(日本人)」と罵られながら、かろうじて生き延びてきた。長い長い戦後だった。 ◆山口八重子(87歳)、父親は福岡市出身の移民。 ◆タカタ・ミヤコ(65歳・フィリピン名:Fe Takata)、父親は福岡出身。 ◆安谷屋ロドルフォ・セイイチ(68)、安谷屋トリニダッド・ヨシコ(66)兄妹の父親は沖縄県うるま市津堅島の漁師。 ◆カタリーナ・デラクルス(83歳・一世配偶者)、1941年、沖縄出身の移民「タカミネ カツオ」と結婚。 ◆レテシィア・ガルーダ、両親が日本人だが、どこの出身かも分からない。父の記憶はなく、母はバゴボ族の兵士から殺害され孤児となった。 ◆エステリータ・ローゼス(日本名:さかいみつこ)、日本人「さかい」とフィリピン人女性ヤネツの長女。 ![]() 日本人が忘れ去ろうとしている、戦争によって引き裂かれたフィリピン残留日本人の家族の肖像。そこに、長い長い戦後の苦悩と深い哀しみ・・、そして、生きる力が見える。
取材・構成:渡辺耕史(RKB毎日放送)
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