![]() ![]() 1987年、国鉄が分割民営化された。このとき7万人以上がJRへ移らず鉄道の仕事を辞めたが、その過程で分割民営化反対を主張していた国労=国鉄労働組合員を狙い撃ちにした解雇が行われ、JRは採用の門を閉ざした。その数1,047人。特に経営基盤の弱い北海道と九州では、他の労組員がほぼ全員採用される中、国労組合員のほぼ半数が不採用だった。 ![]() 国労側は各地に闘争団を結成し「国労を排除するための不当労働行為」であると訴えて法廷闘争を展開、JRには不採用の責任がないとする判決が確定する一方で、2005年以降は、不採用の責任は当時の国鉄にあると認め、国鉄の債務を引き継いだ鉄道建設公団(現独立行政法人・鉄道運輸支援機構)に不当労働行為があったとして賠償金の支払いを命じる判決が相次いだ。 この間1,047人の組合員は、それぞれの地域で独力で事業体を結成し生活費を捻出してきた。土木作業のアルバイトのほか、和菓子や木工製品を作って全国を売って歩いた。組合員の妻たちは「夫の鉄道復帰」を合言葉に全面的に支えてきた。 ![]() 解雇から23年を迎える今年、与党3党と公明による4党が和解の道筋を示した。そして今年4月9日、ひとり平均2,200万円の解決金とJRの採用を盛り込んだ案を政府・組合側双方が受け入れると表明した。四半世紀におよんだ解雇撤回闘争はようやく解決する。安堵する全国の組合員たちとその家族。しかし彼らの多くはすでに50歳を過ぎた。鉄道の仕事に戻る者、あるいは戻れずに生きていく者。闘争の解決は終着駅ではない。この先にある「第二の人生」をいかに生きていくのか。人生の選択が迫られている。 解雇から解決までの23年間の道のりを北海道の小村・音威子府に辿り、41人の組合員と家族の「これから」を見つめる。 ![]()
担当ディレクター:MBS毎日放送 沢田隆三
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