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かつて鹿児島県霧島市にあった第二国分基地を見下ろす上床山。そこに特攻慰霊碑がある。碑に刻まれた鎮詩。目の前に広がるふつふつとした白い雲が、沸き溢れんばかりの英霊の魂に見えたという。 1943年10月16日、学徒出陣の5日前、今は無き戸塚球場で、戦前最後のアマチュアの試合、いわゆる「最後の早慶戦」が行われた。戦時下、野球は敵性スポーツと見なされて六大学野球リーグは中止、戦局の悪化で、ついに学生までも兵隊に駆り出されることが決まり、「戦地へ征く前に最後の思い出を作ろう」と半ば強行で行われた。 このとき早稲田大学の三番バッターとして活躍した近藤清は、神風特攻隊草薙隊の隊員として、第二国分基地から飛び立ち、24歳の若さで命を落とした。 終戦から63年。星移り時は流れて、往時を語る人も少なくなり、僅かな人々が現場を訪れては、追悼の頭を垂れるのみとなった。有無をいわさず戦争に駆り出され、平和の礎となって散って征った若者たちが、如何に生き、何を考え、如何に死んでいったのだろうか。 今まで数多くの映画や小説の題材となってきた「最後の早慶戦」。試合を観戦した野球少年が付けていた「スコアブック」や、今まで伝えられていた試合開催の経緯を覆す「未発表の原稿」など、60年を経て明らかになった事実やエピソードも紹介する。 ![]()
取材・構成:石川瑞紀
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