島田叡(あきら)という人物をご存知だろうか?旧内務省のキャリア官僚で、最後は知事として戦況逼迫の沖縄に赴任し、沖縄戦のさなかに住民と共に生き、死んでいった男である。 官僚とはかくあるべき・・。死後、"官吏(かんり)の亀鑑(きかん)"、すなわち官僚の鑑とまで呼ばれることになる。島田叡はそんな人物であった。 大戦末期、米軍迫る沖縄は、官僚らが相次いで本土に逃げ帰り、まさに捨石の状態だった。そんな中、島田知事は敢然と沖縄に赴任し、県民たちを勇気づけた。「この知事となら共に死ねる・・」そう思った県庁職員も多かったという。 米軍上陸、地下壕への県庁移転、地上戦、南部への撤退、そして・・・。島田知事が在任した5ヶ月はまさに地獄の日々であった。多数の住民が命を奪われ、行政は無力化し、県庁は崩壊していった。そんな修羅場にあっても島田知事は最後まで毅然と執務し、県のトップとしての生き様を通した。 番組は、島田知事を知る生き残った県庁職員たちの証言をもとに、官僚の鑑といわれた人物の最後の日々を描く。 63年前の3月、県庁として使われた首里の地下壕。知事が最後にたどり着いた轟の壕。摩文仁の丘に建つ島守の塔。そこには、沖縄戦で殉職した職員とともに島田知事の名も刻まれている。そうしたあの日々のあの場所を、当時の県庁職員だった山里和枝(やまざと かずえ)さん(82歳)と共に訪ねて当時の体験を語ってもらった。 山里さんは現在、沖縄戦の語り部として戦争を語り続けているが、その最大の理由は島田知事に最後にかけられた言葉にあるという。いったいどんなやり取りがあったのだろうか・・。「島守」たちが語る63年目の沖縄戦とは。 取材・レポート:岩城浩幸(TBS報道局解説委員) |
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