![]() ![]() 「私はキノコ」と公言するこの御仁、日ごろのいでたちはさながら"縄文人"である。棚田でつくる米は、自分で食べるだけ。日中の時間はほとんど山で過ごす。山菜、キノコ、木の実・・・、その目には山の全てが「糧」と映る。だが、それを売ってなりわいとしているわけでもない。職業は?とたずねると、「キノコに職業があるかい」と呵々大笑する。 ![]() そう、呵々大笑。とにかくこの御仁、よく笑う。「ライバルはリスやサル。連中はうまいものをよく知っている。のんびりしていたらみんな持っていかれちゃう」。山にはその日のおかずを探しに行くという。そうして、春、夏、秋を過ごす。冬は全国有数の豪雪の中、山の恵みでつないでいくのだ。 大橋土百さん、還暦を少し過ぎたところである。10年前に山にやってくる前は、勝彦という名前。都心に通勤するサラリーマンだった。きっかけは兄の死。今のうちにやりたいことをやらなければ、どうなるかわからないじゃないか。やりたいこと・・・それは、「するということをやめて、ただそこにある」、そんな時の過ごし方だった。人類から菌類へ。全く迷いはなかったという。 ![]() 新潟県柏崎市高柳町石黒。土百さんの自宅は、もともとは妻の恵美子さんの実家だった。一度は人手に渡ったこの家が、空き家になる。全国でも最も過疎が進行している地域だ。人口の減少に加え、高齢者の割合が全体の半数を超える。山の人としては"初心者"の土百さんだが、すぐに地域にとけ込んでしまった。「キノコだからね」と、またまた呵々大笑。 この御仁について、山に入る。なるほど、あれもあり、これもあり。「ひと山がすべて糧なり里の春」というわけだ。背負い篭はすぐに、山の恵みで一杯になる。それを、あの手この手で食べる。冬の暮らしは大変では?「何もすることがないからコタツで本を読む。最高だよ」。秘蔵の薬用酒に山の幸、話は尽きず、呵々大笑が続く。 ![]() この御仁、秋には必ず都会へ出る。行く先は神奈川県川崎市の市立西梶ヶ谷小学校。縁あって訪れるようになったこの学校で、山を語る。異色の授業は、子供たちだけにとどまらない。親たちとも語り、持参の山の恵みを皆で食する。 コンビニもなければ、携帯電話も通じない。そこに暮らすこの御仁、はてさてどんなメッセージを発し続けていくのだろうか。 |
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