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しかし、テレビの伝送技術は、そこを出発点としその後飛躍的に向上しました。スタジオだけでなく現場からの中継も、衛星中継も可能となり、速報性、情報量で既存の活字メディアをしのぐようになりました。娯楽に、報道にテレビは人々の生活に欠かせないものに成長しました。テレビのジャーナリズムは、その迫真性や映像表現力を駆使し独自の境地を確立していきました。テレビは健全な文化を育み、情報社会の基盤を形成してきました。 そんなテレビが、昨今ひとつの曲がり角に立たされています。インターネットはここ10年で新しいメディアに成長し、ネットジャーナリズムという新しい言葉も生まれています。ライブドア騒動に見られたように、市場原理主義の波は放送局をも飲み込もうとしています。「テレビ、新聞を殺す」とまでの発言が飛び出すなど放送と通信のせめぎあいが起きています。 テレビ局は、あらためて「放送の公共性」論を打ち出し、責任ある基幹メディアの立場を明確にしようとしています。しかしその一方、「放送の公共性」とはなんなのか、その役割をどうやってよりよく果たしていくべきなのか、正面きって社会に語られていません。テレビが放送の公共性を語る時に、世間の冷ややか見方もあります。放送と報道の原点にある「公共性」を巡って、あらためて考えてみたいと思います。
出演 ウォルター・クロンカイト氏
取材制作 松原耕二、小島英人 |
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