![]() ![]() 90年12月。年の瀬に、ひとりの女性が、突如、行方不明となった。生井宙恵(みちえ)さん、当時24歳。北海道・札幌の信用金庫で働く、快活な女性だった。 連絡もなく、いつもの帰宅時間を過ぎても戻らない娘を、母親の澄子さんは、不審に思った。それまで無断外泊などなかったからだ。翌日まで待って、澄子さんは警察に届ける。 そして・・・、その3日後。宙恵さんは、自宅前の、降り積もった雪の中から、遺体となって発見されたのだ。状況証拠から、北海道警は容疑者をある人物と断定し、捜査が始まった。 しかし、容疑者は、母親や恋人に、殺害をほのめかす言葉を残したきり、逃走する。そして、捜査は、確かな手がかりが得られず、15年がたった。 生井さん一家にとって、この15年は、言葉に尽くせない、辛く長い日々だった。3年前、父親の郁郎さんは、事件の解決を見届けぬまま他界した。そして刻一刻と時効が迫ってきた。澄子さんは、冬の札幌の街頭に立って、情報提供を呼びかけ、さらに懸賞金までかけて、全国からの情報を募った。しかし、2005年12月19日。あらゆる努力も願いも実らず、ついに時効となった。 なぜ手がかりがなかったのか。なぜ犯人は一切、罪に問われないのか。澄子さんは、いま辛さとともに、虚脱状態にある。さらに辛いことは、これで、宙恵さんの"物語り"は、全く途切れてしまったことだ。 宙恵さんは、なぜ殺されなければならなかったのか。犯人の口から、その詳細をきちんと聴くことなくして、家族は、現実を受け入れる、入口にさえ立てない。空に置き去りにされたまま、これからを生きなければならない。 時効とは、法的に罪を無実化し、そこで時間を遮断することだけではない。被害者家族にとって最も必要なひとつである、事件の真実を知る機会が永久に奪われ、故人への、リアルな悲しみと、それによって"物語を作る"ことが、決定的に奪われてしまう。これは、あまりではないか。 番組では、時効となった事件の、不条理さを訴えると同時に犯罪被害家族にとって、「物語を奪われる」こととはなにかという観点から、時効が抱える問題点を検証する。 |
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