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第1453回
海を渡った幕末のサムライ
スフィンクスと写真を撮った男たち

2017年11月11日 夜9時〜

ここでは海を渡った侍たちにまつわるお話をさらにご紹介!

マルセイユの墓地に眠る侍

幕末、欧米諸国との交渉という重大な使命を背負い、海を渡った総勢34名の侍たち。その道中で悲しい出来事が起きました。
一行は見聞を広める目的で、フランスへ行く前にエジプトに立ち寄り、ギザのスフィンクスやピラミットを見学。そこで使節団の1人、横山信道(敬一)が黄熱病にかかります。そのため一行と別れ、フランスのマルセイユで療養していましたが、フランス到着から12日後に亡くなりました。マルセイユの墓地には今も当時作られた横山のお墓が残されています。

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また横山の病状は、電信を使って毎日のように650km先のパリにいるリーダー・池田長発の元へ伝えられていました。日本より遥かに進んだその情報伝達は、長発に欧州と日本の国力の差を痛感させ、幕府に対し命がけで日本の近代化を訴える行動へ繋がりました。

歴史のクロスオーバー
池田長発がパリで助けられた人物は…

実は150年前、日本から池田長発ら使節団一行がパリを訪れたニュースを新聞で知って、現地に駆けつけた人物がいました。あのシーボルトです。

シーボルトは、日本が鎖国をしていた時代、唯一外国に開かれていた長崎・出島のオランダ商館に医師として来日。進んだ西洋の医学を日本に広める一方で、日本についての研究を行っていました。自身で集めた膨大な日本コレクションは現在、オランダのライデン博物館に収蔵されています。

日本からオランダへ戻った後、故郷ドイツのヴェルツブルクにいたシーボルトですが、フランスとの交渉にやって来た侍たちのことを知って、彼らの力になろうとパリへ行ったのです。
ミステリーハンター・瀬戸たかのさんは以前、第1413回の「世界ふしぎ発見!」でシーボルトについても紹介。
「シーボルトの日本愛はすごいな!と改めて思いましたし、池田長発とシーボルトの関係は、歴史の面白さを感じる貴重な体験でした」と大きな発見に繋がったようです。

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侍たちが宿泊し、今も当時の姿を残すホテル

使節団一行が訪れた頃のパリは、近代化が推し進められていた大改造の時代。1862年のパリ万博開催の前には、世界から集まるVIPをもてなすため、最先端の設備を整えたホテルも建設されました。しかし現在はメンテナンスの問題もあり、それらのホテルは少なくなっています。そんな中、侍たちが実際に宿泊したル・グランホテルは当時の華やかな雰囲気を今に伝える貴重な存在。また番組で、池田長発たちがエレベーターを狭い部屋と勘違いした再現シーンは、同じくパリにあるオテル ビアンヴニュのエレベーターを実際に使わせて頂いて撮影しました。

◇Hotel Bienvenue(オテル ビアンヴニュ)
 23 rue Buffault 75009 Paris

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Hotel Bienvenue

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