2015年7月4日 夜9時〜
杉原千畝の発給したビザは、6000人ものユダヤ人の命を救うことが出来たけれど、それは後になって分かることですよね。実はビザ発給を受けたユダヤ人も、初めは日本の国がビザを出したと思っていて、杉原が独断で行ったことを後から知って、本当に驚いたそうです。それはもう、ヒーローですよね。もし私が杉原の立場で「ユダヤ人へのビザ発給は認められない」と本国に指示されたら、「はい」と従ってしまう気が…。杉原千畝の研究が進んで行く中で、さらに明らかになってきた彼の人物像や状況判断の力、行動にはとても驚かされると思います。ぜひ注目して欲しい部分です!
杉原が行っていたのは命がけの諜報活動だった!?
その立場を示す貴重な資料をワルシャワ大学でレポート
今回リトアニアへ行く時は、ポーランドから車で国境を越えました。ユーロ圏なのでパスポートの提示はなく、また国境を越えても景色は変わらずひたすら田園風景…。緑が本当に美しいところでした。人はとても少なくて、「日曜日だからですか?」と地元の人に聞いてしまったくらいです。逆にリトアニアの人が東京へ行くと、人口密度が違い過ぎて目が回るとか!?でも実は、この美しいリトアニアが、第二次世界大戦の作戦上、重要な場所となっていたんです。今回は、もし戦争で困難な状況になったら、自分は広い視野を持っていられるのかなど、色々考えさせられるかもしれません。命のビザを得て現代を生きている女性のお話、そして杉原千畝という人物が、その手がかりになると思います!
現在は杉原の記念館になっている日本領事館を訪れたリトアニアの子供たちと