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第1360回
微笑みの国 タイに生きて

2015年6月20日 夜9時〜

心に覚悟が決まった瞬間
苦労も苦労でなくなり新たな道が開ける

今回取材をした方たちは、みなさんそれぞれに転機がありました。そして奇しくもみなさん始めは渋々、あるいはなんとなく引き受けた仕事だったのです。チュンポンさんも日本大使公邸の料理人として海外への赴任を依頼された時、幼い子どもと離れることはできないと断ったそうです。結局、周囲からの説得もあり引き受けたのですが、丹波夫人との信頼関係が深まることで、この仕事を全うすると覚悟を決めたそうです。そこからは大変なことでも苦労とは思われなかったようですね。苦労は山ほどあったはずと私も伺ってみたのですが(笑)、パーティーのとき1日1000貫のお寿司を握ったことがあったというお話はされても、愚痴めいたことは一切なく自分の仕事をしただけとおっしゃるのです。

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山岳地帯の子どもたちが学校に通えるように支援する
「さくらプロジェクト」の三輪隆さん

家庭からは学校に通えない子どもたちのための学生寮を運営する「さくらプロジェクト」の三輪隆さんも、心身ともにハードなことがたくさんあったでしょうにそんなことを感じさせない雰囲気の方でした。学校に通えない子供達を調査しに道無き道をバイクで走っていたとき、「バイクが吹っ飛んで自分もモモンガみたいに飛んじゃいました」なんてひょうひょうとおっしゃるのです(笑)。そんな風に言われると思わず笑っちゃいますが、冷静に考えると命の危険すらある笑えない話です。今も学校で学びたい子どもを探すため山岳地帯を奔走している三輪さんですが、ある出会いをきっかけに仕事への取り組み方が変わったそうです。まさにスイッチが入ったのですね。その後の三輪さんの行動力は本当に凄いのひと言です。

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学校で学び夢を抱くようになった子どもたち
夢を絵に書いてくれました

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瀬田敦子さんとご主人
瀬田さんは42歳でプロデビューという遅咲きのピアニスト
タイの大学でピアノ講師を依頼されるも初めは渋々引き受けた

ピアニストの瀬田敦子さんはご主人の希望で移住したタイに馴染めず、夫婦関係がぎくしゃくするほどだったそうです。でもそこから持ち前のバイタリティを発揮して、クラシック音楽があまり根付いていないタイでその環境を変えてきました。とても明るくきさくな方なので、お話を伺いながら、最後には人生相談みたいになってしまったのですが(笑)、どうしようもなかった「自分」を乗り越えた方なので説得力がありました。なかでも、やりたいと思っていることが今できなくても、思い続けてさえいれば、いつか自分の思い描いたかたちではなくてもきっと実現するという言葉はとても心に響きました。

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瀬田さんの教え子たち
「タイで練習をしているところを取材させて頂き
東京での公演も聞きに行きました
数か月でもの凄く上達していたので驚きました」(宮地さん)

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