(毎週変わるイメージ画像)

(ひとしくん)

バックナンバー

毎週土曜日 よる9:00から放送

バックナンバー

第1179回
江戸の貿易戦争 日本を鎖国させよ!

2011年3月19日 夜9時〜

大雪の金沢では素敵な出会いが?

(イメージ)

古九谷の取材では、さまざまな発見と感動がありました。古九谷は、わずか数十年間しか作られていなかったために、幻の焼き物として珍重されていますが、単に陶芸の世界のことだけでなく、江戸初期のドラマが秘められたものだったのです。なかでも興味深いのは前田家の存在です。九谷焼のスポンサーとなっていたのが、前田家なのです。徳川の世になっても、ちゃんと存在感のある位置に居続けるために、他ではできない何かをつくる。そのひとつが、陶芸だったのです。金沢が江戸以降今に至るまでずっと華やかな街で、着物や漆器などのさまざまな伝統芸術が廃れることなく受け継がれてきたのも、前田家あってこそだと実感しました。今さらですが(笑)、前田家って凄い!です。

(イメージ)

また金沢では、今でも前田家の御用窯になっている、中村元風さんの窯を取材させていただきました。中村先生は、古九谷の技法を再現した方で、現在は九谷焼の名工として活躍されています。日本の陶芸の技術の多くは、中国の景徳鎮などから伝わったものですが、その中国でも古九谷で使われている技法は再現できなかったそうです。ですから先生の技術と作品は中国でも高く評価されています。先生のお話は、どれも興味深く、心に響くものがありました。もともと中村先生は陶芸家を目指していたわけでなく、大学院で生物学を研究されていたそうです。理系の研究をされていただけに、元来探究心がおありで、釉薬の調合なども得意分野だったことが、古九谷の再現に幸いしたのかもしれませんね。先生のお話で一番感銘を受けたのは、当時の職人の気持ちを考えれば、もっといいものを作りたいと思っていたに違いないと先生は考え、今は古九谷の技法にこだわらず、世界に通用する九谷焼を極めていきたいと思っていらっしゃるということでした。古九谷は、今の九谷焼に比べると、白磁の部分は白濁していて、彩色も今ほど鮮やかではないのです。それを味があると好む人がいてもいいのだけれど、幻の陶器だから古九谷は最高だというのは違うのではないかというのが先生のお考えのようです。職人なら、白はもっと白く、色はより鮮やかにしたいと思うのが自然で、当時はそれが技術的にまだできなかっただけで、現状に満足していたのではなかったということかもしれませんね。中村先生は、物静かで穏やかでありながら陶芸に対する熱い想いと職人魂を秘めたとても素敵な方でした。先生のお宅で奥さまに美味しいコーヒーを出して頂いたのですが、そのカップも先生の作品。持ち手が金のひょうたんの形になっていて、キュンキュンしてしまうほど素晴しい器でした。作品はもちろんですが、すっかり先生に魅了されてしまった取材でした(笑)。

オランダと日本のふしぎな関係

(イメージ)
(イメージ)

鎖国は、オランダとの貿易戦争から端を発したわけですが、結局その戦争に敗れたオランダが、江戸時代には日本との交易を独占することになります。それもなんだかふしぎですよね。
今では特に交流の深い国とは言えませんが、中国以外ではオランダだけが日本と交流していたわけですから、鎖国以降は西洋との唯一の窓口だったのです。でもそんな縁で、オランダ人は江戸時代ずっと長崎に住んでいて、そこから和・洋・中が混ざり合った長崎独特の文化も生まれてきました。今は周囲が埋め立てられて歴史の教科書で見るような出島はもうありませんが、町に再現された出島時代のものを見て意外に思ったのは、そんなに厳重に隔てられていなかったことです。自由な行き来はできなかったにせよ、出島と日本人が住んでいた町を繋ぐ太鼓橋は、長さが10メートルもないんです。例えば江戸城だと、外から内部をうかがい知ることは不可能ですが、出島の場合お互いに町を歩く人の姿は見えますし、声だって聞こえるくらいの距離です。

(イメージ)

当時のオランダ人は日本をどんな風に見ていいたのか知りたいですね。出島付近を取材すると、けっこう日本人と仲良く暮らしていたように感じたのです。姿も生活様式も考え方も異なる遠く離れた日本を、どう受け止めていたんでしょうか?しっぽく料理を食べながら、そんなことを考えてしまいました(笑)。

外部サイトへリンクします