作品情報WORK

絵はひとを誘い、また惑わせる。クラーナハは、その「誘惑」の効力を、よく知っていたはずである。クラーナハの多種多様な絵画をあらためて見渡すとき、一見したところ無関係であるかに思える作品群のなかに、ある根源的なテーマが浮かび上がる。すなわち、「女のちから」(Weibermacht)と呼ばれる主題系である。たとえば、イヴの誘いに負けて禁断の果実を食べてしまったアダム。あるいは、敵将ホロフェルネスのふところに潜り込み、彼を油断させることで惨殺したユディト。踊りによって王を悦ばせ、褒美に聖ヨハネの斬首を求めたサロメ。王女オンファレの美貌に骨抜きにされ、羊毛を紡ぐはめになった豪傑ヘラクレス。娘たちに酔わされ、近親相姦をおかしてしまったロト……。そう、ヨーロッパの美術史や文化史における「女のちから」とは、女性の身体的な魅力や性的な誘惑によって、男性が堕落ないし破滅に陥る物語のことをいう。それは古代神話、旧約聖書、新約聖書、より世俗的な寓話など、実に広範な源泉のなかから見出される「誘惑」の類型的イメージにほかならない。
クラーナハは、こうした「女のちから」というテーマを、みずからの芸術の根幹をなすものとして選びとり、くりかえし描いた。もちろん、それらの絵画には教訓的な意味合いが込められていた。「女のちから」には気をつけよという、男性に対する戒めである。だが、ほんとうにそれだけだろうか。問題はあくまでも、クラーナハの絵そのものが、それを見つめる者を誘惑しかねないだろうということだ。ここでの「女のちから」とは、そのような彼の絵画が放つ「イメージのちから」のことである。

《 ホロフェルネスの首を持つユディト 》

1525/30年頃、油彩/板(菩提樹材)、87 x 56 cm、ウィーン美術史美術館

森村泰昌《 Mother(Judith I) 》《 Mother (Judith II) 》

1991年、東京都写真美術館

《 不釣り合いなカップル 》

1530/40年頃、油彩/板(ブナ材)、19.5 × 14.5 cm、ウィーン美術史美術館

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