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大奥 用語解説

第7話

寛永19年の大飢饉(かんえい19ねんのだいききん)

江戸時代に起きた4大飢饉の一つで、一般的には「寛永の大飢饉」と呼ばれています。年表的には1642〜1643年(寛永19〜20年)とされますが、それ以前に干ばつや長雨など全国的に異常気象が起こっていて、そのピークが寛永19〜20年とされています。
1642年、飢饉の影響により百姓の逃散や身売りが目立つようになると、時の将軍家光は飢饉対策のための様々なお触れを講じましたが、中でも日本史の教科書などで有名なものが、第7話の劇中で家光が「百姓の田畑の売買を禁止する…」といって発布された「田畑永代売買禁止令(でんぱたえいたいばいばいきんしれい)」でしょう。
ちなみに、前出の「江戸の4大飢饉」というと、享保17年(1732年)の「享保の大飢饉」、天明2〜7年(1782〜1787年)の「天明の大飢饉」、天保4〜10年(1833〜1839年)の「天保の大飢饉」となります。

一揆(いっき)

「一揆」とは、同じ目的のために集まった集団のこと。例えば、領主や守護などに不満を持った農民などが団結して、待遇などの改善を要求する集団を意味していましたが、その集団行動に暴動や反乱を伴う場合も多く、「一揆=暴動」という意味合いが強くなり、本来意味することから離れてしまっているようです。

本百姓(ほんびゃくしょう)

領主が認めた台帳(=検地帳)に登録している田畑を所有している農民のこと。

小作(こさく)

本百姓など、田畑を所有している者から農地を借りて、農業を営んでいる農民のこと。小作人ともいう。

重陽の節句(ちょうようのせっく)

「節句」とは、季節の変わり目を指す言葉で、この季節の変わり目に邪気を祓い息災に過ごすための行事を行います。この節句は年に5日ありますが、そのうちの9月9日を「重陽の節句」と言い、菊の花を飾り観賞するほか、菊の花びらを酒に浮かべて飲むなどの行事が行われていました。
この重陽の節句は、現在では馴染みの薄い行事となってしまいましたが、そのほかの4つ、1月7日の「七草の節句」や3月3日の「桃の節句=ひな祭り」、5月5日「端午の節句=こどもの日」、7月7日の「七夕の節句」は、まだまだ一般的に認知されている行事でしょう。

お扶持(おふち)

元は助けることや扶助する意味ですが、それが転じて、領主が家臣に与える俸禄(=給与)を指す言葉となりました。

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