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二人の側室

将軍が逝去したら…

将軍が逝去すると、御台所は髪を切り、名前を「○○院」と改名して仏門に入ります。このことを「落飾(らくしょく)」といい、将軍の位牌を受け取り、残りの余生を将軍の冥福を祈りながら静かに暮らすこととなります。
また、御中臈たちもこれに倣い落飾して「○○院」と名乗り、下賜された位牌を拝みながら余生を暮らしました。この際、大奥は出て行かなければなりませんでしたが、生涯親元へ帰ることは許されていませんでした。どこで暮らすかというと、城内の二の丸か三の丸のほか、城外にある「桜田御用屋敷」という幕府の施設でした。
落飾した御中臈たちは、奥内に勤めていたときと同じだけのお扶持(給与)をもらえたので、生活には困らなかったようですが、自由な外出は禁止されていました。外出というと、将軍の御廟所(ごびょうしょ=お墓)の芝増上寺か上野寛永寺へのお参り、または江戸城本丸へのご機嫌伺いのみだったそうです。
ちなみに、将軍が逝去した場合、およそ30日間は公表されなかったとのこと。その間に葬儀の準備のほか、廟所の築造がされました。葬儀は老中の指示により寺社奉行の統括のもと、増上寺か寛永寺で執り行われました。また、将軍の命日ですが、老中たちにより合議で決められたそうです。その理由は、今後、命日が代参(お墓参り)の日となるので、元々決まっている精進日(先祖の霊を敬い精進する日)などのイベント事と重ならないよう調整が行われたのです。

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