2012年10月12日(金)よる10時誕生
普段は「中奥」と呼ばれるエリアで起居している将軍が、大奥で泊まることを「奥泊(おくどまり)」といいます。この奥泊、たとえ将軍といえども、いつでも自由に奥泊をすることはできず、奥泊する場合は、事前に申し出をしておかなければいけませんでした。
まず、奥泊まりをする場合、午後の早いうちにその旨をお小姓に伝えます。命を受けたお小姓もしくは小納戸(こなんど)が、大奥への出入り口「御錠口(おじょうぐち)」で鈴を鳴らして表使(おもてづかい)を呼び出し、表使がその情報を御年寄に伝えますが、このとき将軍が誰と御寝(ぎょしん)したいかが知らされます。
御台所または、寵愛する側室を指名するほか、特に誰と一夜を供にしたいかリクエストのない場合もあり、そのときは御年寄の合議によって将軍付きの御中臈の中から、お供する御中臈が決められたそうです。
ほどなく、将軍と一夜を過ごす女性は、風呂に入り身を清めて化粧をするなど、準備をします。また、将軍が泊まる寝所「御小座敷」では、布団が敷かれるほか刀を置く「刀掛(かたなかけ)」や煙草、お茶やお酒などが用意されます。
さて、いよいよ将軍と寝所を共にするとき、お相手が御台所の場合、上臈御年寄(じょうろうおとしより=御台所の側近)が、二人が寝るまでの間お供をし、寝る際には寝所の隣の間に引き下がります。この隣の間では御年寄と御中臈が控えていて、寝ずに番をしていました。
一方、側室が一夜をお供する場合は、側室のほか御添寝(おそいね)の御中臈が、二人の布団からやや離れたところで背を向けて、夜のやり取りを一部始終、監視して、その翌朝、御年寄に昨晩の様子を報告していました。この御添寝という役は、5代将軍綱吉の頃から始まったとのこと。将軍と一夜を過ごした側室で将軍におねだりをした者がいて、それを防止するために御添寝という役が設けられたそうです。