水戸黄門大学

お助け辞典(おたすけじてん)




酒手
(さかて)
心づけ、つまりチップのこと。駕籠屋や人夫などに決まった額以上の金銭を支払って特別なサービスを受ける際、「酒手をはずむ」という表現をよく使う。酒の代金という意味で使われることもある。
魚屋
(さかなや)
当時は、鮮魚全般を扱う魚屋も多かったが、小売り業では、江戸・京阪地区ともに、種類ごと専門に扱う商いも盛んだった。牡蠣売りや海鼠(なまこ)売り、鯉(こい)売り、蛤(はまぐり)や鳥貝などを扱うむきみ売り、さらに干物を扱う枯魚売りなどがあった。白魚(しらうお)売りは江戸にはあったが京阪にはなく、蛤や牡蠣の値段は江戸の方がはるかに安かった。
作事奉行
(さくじぶぎょう)
当時の幕藩体制の役職のひとつで、社殿や寺社のほか幕府の建物の建造や修繕を統括する役目をもっていた。
(さくら)
庶民が弁当や酒を持って「お花見」に繰り出したのは、江戸時代に入ってからだとか。時代は変わっても日本人の桜好きは今も変わらず。映画村には里見黄門様が放送1000回を記念して植樹したソメイヨシノがある。
桜湯
(さくらゆ)
塩漬けにした香りのよい八重桜にお湯を注いだ飲み物で、現代も結納や結婚式の際によく出される。お茶は「お茶を濁す」という言葉につながることから祝いの席では避けられ、その代わりに「花開く」桜湯が縁起がいいと、昔から好まれている。
(さけ)
『水戸黄門』で酒といえば基本的に日本酒で、燗(かん)で飲む。ご一行も旅先で時々たしなむが、助さんは飲みすぎてハメをはずし、翌朝、格さんに叱られることも。また、宴席で悪人たちが杯を傾けながら悪事の算段をすることもある。芸者に扮したお娟、あるいは天井裏にいる弥七が悪人の徳利(とっくり)に睡眠薬をしのばせ、彼らを眠らせておいて悪事の証拠をつかんだりする。

刺客
(しかく)
暗殺を行なう人のことで、『水戸黄門』でも光圀や将軍などを狙う手練(てだれ)の刺客が登場したことがある。由美かおるさんが演じた「かげろうお銀」も元々は光圀の命を狙う刺客だったが、実はだまされてのことで、光圀が正義の人だと知ってお供になった。
鹿踊り
(ししおどり)
鹿の頭(かしら)を付け、太鼓をたたきながら踊る民俗芸能・鹿踊り。この鹿踊りは岩手県の無形文化財で、悪霊を追い払って村の平和を祈願するという意味が込められている。『水戸黄門第34部』で鹿踊りが登場するのは第7部以来、実に29年ぶり。撮影では、現地の専門家8人が、京都の撮影所で本場さながらに踊ってくれた。
指南役
(しなんやく)
物事を教え導く立場の人のこと。広辞苑によると「指南車」からきていて、指南車とは古代の、方向を指し示す車。上に仙人の木像をのせ、歯車の仕掛けで最初に南に向けておくと常に南を指すように装置されている。
四半刻
(しはんどき)
現代の時間に直すと約30分間(ちなみに一刻は約2時間)。四半刻は当時の時間の最小単位でもあり、1分1秒と細かく時を刻む現代に比べると、時間の感覚は大まかだった。
出産
(しゅっさん)
当時は、妊婦は妊娠5カ月目になると岩田帯(白い腹帯)を巻き、周囲に妊娠中であることを知らせ協力を求めた。出産に立ち会うのは主に「取上げ婆」と呼ばれる経験豊富な老婆。誕生後は、7日目に名前をつける「お七夜」、大人と同じものを食べる「食い初め」、5歳の「袴着」、7歳の「帯解き」などが行なわれた。簡略化されながらも現代も継承されている行事は少なくない。
背負子
(しょいこ)
大量の荷物を背負って運ぶための木製の器具で、背負い梯子(ばしご)とも。農作業などによく使われた。
上意討ち
(じょういうち)
主君の命を受け、罪人を討ちとること。これまでにも幾度か『水戸黄門』の題材になっている。
将棋
(しょうぎ)
「将棋」は盤の上で駒を進めて王将を取り合うゲーム。インドで起こり中国に伝わって、日本に伝来したのは平安時代といわれている。最初は貴族や武士の教養としてたしなまれていたが、江戸幕府公認の勝負事となってからは将棋所という役職もできた。やがて、町人や農民にも広がっていった。
庄屋
(しょうや)
年貢の納入や村の取り締まり、ほかの村との交渉などを受け持つ村の代表者のこと。庄屋、組頭、百姓代の三役が主に中心になって村の統括を図っていた。江戸では「名主(なぬし)」、地方によっては「肝煎(きもいり)」などとも呼ばれる。
汁講
(しるこう)
地元の住民や彰考館の者を西山荘に招き、鍋を囲んで酒を酌み交わす宴シーンがあったが、これは「汁講」というイベント。主宰者が汁と酒を用意し、具材を持ち寄って鍋を楽しむもので、決して豪華ではないが心のこもった手作りホームパーティといったところ。黄門様は領民からも慕われており、時々この「汁講」を開いては、歌ったり踊ったり人々と楽しい時間を過ごしている。
(しろ)
敵の攻撃を防ぐ構造を持った建物で、領主やその家臣、兵士らが居住している。
『水戸黄門』は京都の二条城でたびたび撮影を行っているほか、姫路城をはじめ日本各地の城の映像が登場する。


西山荘
(せいざんそう)
山野辺兵庫が光圀の帰りを待つあの場所設定は「西山荘」。毎シリーズ、第1話の黄門様の旅立ちや最終話の帰郷シーンでおなじみだろう。この「西山荘」は、実在した徳川光圀公が日本の歴史書「大日本史」の編纂をしながら過ごした晩年の住まい。質素倹約を旨とした造りになっている。特徴的な格子の丸窓からは、明かりを取り入れたり、庭の景色を楽しんでいたという。光圀公はここで、1700(元禄13)年12月6日に73歳で亡くなった。当時は「西山御殿」とも呼ばれたそうで、現在も茨城県常陸太田市に現存(ただし火事で消失したため、1819年に3分の1の規模で再建)している。
セット
(せっと)
テレビ番組や映画を撮影するために、美術スタッフが建てる舞台装置をセットという。『水戸黄門』は京都太秦にある映画村のオープン・セットやスタジオ・セットを使用。オープンセットには「江戸の町」「町奉行所」「白州」「宿場町」などがあり、撮影風景が一般公開されている。スタジオセットも一部はガラス越しに見学できる。映画村ができたのは1975(昭和50)年で、初代・東野英治郎黄門様の時代。最初、東野黄門様は公開収録での芝居に大いに戸惑っていた。一方、スタジオを出て外で撮影することをロケ(ロケーション)という。
千両箱
(せんりょうばこ)
千両箱は通常木製で、周りには鉄の枠が打ち付けられた頑丈なつくり。重さは、入っている貨幣の種類にもよるが、ふつうは小判1000枚(1両小判25枚でひと包み×40包)で、箱も含めて約20kg。

蕎麦
(そば)
この時代、蕎麦屋は江戸を中心にもっともポピュラーな飲食店で、一杯が16文。上方で人気のうどんも一杯16文だった。屋台の立ち食い蕎麦「二八蕎麦(にはちそば)」は、16文=2×8にかけたという説と、小麦粉と蕎麦粉が2対8の割合からというふたつの説ある。夜中まで屋台で売る「夜鷹蕎麦(よたかそば)」も人気だった。


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