水戸黄門大学

お助け辞典(おたすけじてん)




初午
(はつうま)
毎年2月の最初の午の日に、春の訪れを祝って行う稲荷社の祭礼。のぼりを立てて行灯(あんどん)を吊るし、町には絵馬売りや太鼓をたたく人々が繰り出すなど、江戸時代各地で盛んに行われた。今もこの祭礼を行う神社があり、商売繁盛を願う参拝者で賑わう。
播随院長兵衛
(ばんずいいん
ちょうべえ)
播随院長兵衛とは、江戸初期(1622−1657年)に実在した侠客(きょうかく)の頭。侠客とは、弱きを助け強きをくじく親分肌の男で、その多くが賭博(とばく)などで世渡りをしていた。長兵衛は、働き口のない者に職を世話する人材斡旋業の元締めだったが、旗本・水野十郎左衛門のだまし討ちに遭い殺害された。後に歌舞伎や講談などでも上演され、庶民の人気を呼んだ。東京・小金井市にある寺・播随院の住職と親交があったことから、この名を名乗った。

引かれ者の小唄
(ひかれもののこうた)
「引かれ者」とは、江戸時代に引き回しの刑に処せられた罪人のこと。その罪人が、刑を前に開き直り、負け惜しみで小唄を歌うということからきている。
鐚銭
(びたせん)
粗悪な質のお金のことで、一般に流通している銭貨よりも価値が低く、受け取りを拒否されることもあった。「あくぜに」とも読む。「鐚一文(びたいちもん)負けない」という言葉があるが、たとえ鐚銭一文(極めてわずか)でも負けないという意味。
雛祭り
(ひなまつり)
3月3日は桃の節供、雛祭り。この雛祭りが一般に定着したのは江戸時代。そもそも平安時代に、無病息災を願って人形に供物を捧げ、川や海などに流したことが始まりと言われる。現代でも「流し雛」の風習が残っている地方もある。江戸時代には、3月3日の上巳(じょうし)の節供(現在の桃の節供)のほか、1月7日の人日(じんじつ)、5月 5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽(ちょうよう)の五節供が定められていた。
評定所
(ひょうじょうしょ)
上納金の不正について審議する「評定所」の場面がある。「評定所」とは、江戸幕府最高の裁判所。寺社奉行・勘定奉行・町奉行の三奉行のうち二つ以上に管轄がまたがる場合の訴訟などを審議した。
枇杷葉湯売り
(びわのはゆうり)
「枇杷葉湯」は、枇杷の葉を薬草などと一緒に煎じたお茶で、主に暑気払いに効くとされた天然治療薬。本家は京都烏丸の薬店。京坂地方ではもっぱら売り歩き、江戸では橋の上などに品物を置いて売っていた。健康志向の現代も、この昔ながらの天然の薬効成分に着目し、枇杷茶や枇杷酒、枇杷の入浴剤などが人気。

普請奉行
(ふしんぶぎょう)
石垣や堀、道路などの土木工事を管理する江戸幕府の役職のひとつ。「普請=普く(あまねく)請う(こう)」、つまり本来は農民など一般大衆に広くお願いをして道や城の建設に協力してもらうのだが、中には働き手をこき使い、公金横領を企む悪徳普請奉行もいたようだ。

別式女
(べっしきめ)
剣や薙刀(なぎなた)などあらゆる武芸に精通し、男子禁制の場所で主の警護をする女性のこと。刀を腰に差し武士の格好をしている。

幇間
(ほうかん)
宴の席を盛り上げる男芸者、いわゆる太鼓持(たいこもち)のこと。愉快な踊りや独特の話術でもてなす。
歩荷
(ぼっか)
名前の通り「荷物を背負って歩く」ことで、運送業のひとつ。特に山道などで重宝された。
本陣
(ほんじん)
江戸時代に宿駅に設置された幕府公認の宿。参勤交代制と共に公式化され、大名など身分の高い人たちが宿泊した。
本道医
(ほんどうい)
内科医のこと。当時の医者は、“町医者”と、幕府や大名お抱えの“御典医(ごてんい)”とがあった。病気の際、庶民はたいてい売り薬や鍼灸(しんきゅう)、湯治(とうじ)、あるいは祈祷(きとう)など民間療法に頼っていたが、重病や緊急の場合は町医者の診察を受けていた。


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