水戸黄門大学

お助け辞典(おたすけじてん)




廻船問屋
(かいせんどんや)
廻船とは、米穀をはじめとした貨物を運搬する船のこと。現代の主な輸送手段は陸路や空路だが、当時は大量の物資を船で運んでいた。その荷物の取次ぎをするのが廻船問屋だ。輪島(石川県)や酒田(山形県)など各地の港町には、廻船問屋の蔵屋敷が建ち並んでいた。また、江戸−大坂間を定期輸送していた廻船問屋に菱垣廻船(ひがきかいせん)があるが、江戸−大坂の片道の所要時間は、江戸時代前期で平均33日間、後期で平均12〜13日間かかったという。
敵討
(かたきうち)
家族や友、主君の無念を晴らすために敵を討ち果たすこと。仇討(あだうち)ともいう。
甲冑
(かっちゅう)
戦いの時に兵士が刀や鉄砲の弾などから身を守るために装着する武具。頭部を保護するための兜(かぶと)や、胴周りを守るための鎧(よろい)からなる。鎧ひとつを作るのに1000人もの手間がかかるといわれたほど、鍛冶(かじ)職人や漆塗りの職人、皮細工の職人などさまざまな専門技術が用いられている。甲冑のデザインには、武将の好みなどオリジナリティも反映された。
金山
(かなやま)
徳川幕府は、各地の大名が支配していた鉱山をすべて幕府直轄とし、採掘した金銀による鋳造権(小判作りの権限)を握ることで天下の統一を図った。中でも江戸初期に金鉱が発見された佐渡の相川は、日本一の採掘量を誇る貴重な財源。多くの坑夫や資金がつぎ込まれた。鉱山内に張り巡らされた坑道は全長400キロにも及ぶという。「きんざん」とも読む。
カピタン
(かぴたん)
オランダ船の船長やオランダ商館の館長をカピタンと呼んだ。
(かみ)
はるか昔中国から伝来した紙作りの技術は、やがて手漉きによる日本独自の和紙を生み出し、江戸時代に大量生産され武士から農民まで広く使われるようになった。種紙など、全国各地で特色ある和紙が生産され、用途も文字や絵を書くだけでなく、提灯(ちょうちん)や障子(しょうじ)、こよりなど、さまざまに重宝された。
紙漉き
(かみすき)
紙漉きは、コウゾという植物の繊維を、水に浸した木箱(漉き舟)の中で糊状の一枚の薄いシートにしていく作業。これを取り出し圧縮、乾燥させると紙ができあがる。そもそも紙作りの技法は古墳時代に中国から伝わった。江戸時代に紙が大量に消費されるようになり、農家の副業として日本各地で行われた。
髪結
(かみゆい)
今でいう美容師のことで、当時、結ってもらっていたのは主に男性。女性は髪が自分で結えて一人前とされ、花街の女性以外は基本的に自分で結い、かんざしやくしなどの髪飾りでおしゃれを楽しんだ。髪結床(かみゆいどこ)は現在の美容院。おしゃれな男たちの社交の場でもあった。江戸では廻り髪結という出張美容師も人気だった。
軽業師
(かるわざし)
軽業とは、綱渡りや竿のぼり、籠抜け、空中ブランコなど、鍛錬した身体を使って行う興行で、今のサーカスのようなもの。江戸時代、この軽業や奇術などを見せる見世物小屋に行くのが、庶民の娯楽のひとつだった。
為替
(かわせ)
為替は為替手形(かわせてがた)のことで、現金に代わる証書。ATMやクレジットカードがなかった昔、長期にわたる旅などでは、この為替を遠隔地から送ってもらい決済していた。広辞苑によると、語源は鎌倉・室町時代に、取り交わす・交換するという意味から「交わし(かわし)」と呼ばれていたのが、江戸時代に「かわせ」に変化したという。この為替システム、江戸時代に広く流通した。
(かわや)
厠とはトイレのこと。手洗場(ちょうずば)、はばかりなどさまざまな言い方がある。
勧進
(かんじん)
寺社などの建立や改修のために人々から寄付金を募ること。「勧進太鼓」は太鼓演奏の興行をすることで見物料を集めている。
勧進相撲
(かんじんずもう)
境内などで相撲の興行をし、その見物料を寺社の建立や修繕費に当てることから「勧進相撲」といわれていた。強豪力士の多くは藩のお抱え力士だった。

北町奉行
(きたまちぶぎょう)
行政、司法、警察、消防など江戸の市政全般を統括しているのが町奉行。北町奉行と南町奉行の二人がいるが、江戸の町を南北に分担して統括したのではなく、執務は二人の奉行が1カ月交代の月番制であたっていた。それぞれの奉行所があった位置から北町・南町と呼ばれるようになった。有名な町奉行に大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)や、遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)などがいる。
木賃宿
(きちんやど)
炊事に必要な火を起こすための燃料=木の代金だけを支払い、自分たちで煮炊きをして泊まる宿のこと。今のコンドミニアムと同じスタイルだ。その土地の人と親しくなれば、名物や野菜を分けてもらったり、宿泊者同士が炊事をしながら仲良くなれるのも魅力。食事付きの旅籠(はたご)に比べ、もちろん宿賃は安い。
ギヤマン
(ぎやまん)
「ダイヤモンド」のオランダ呼称。また、日本ではかつてガラス細工のことも「ギヤマン」と呼んだが、これはガラスを削るのにダイヤモンド(ギヤマン)を使ったことからきている。
切餅
(きりもち)
「これはほんのお礼でございます」と言って、悪代官に“切餅の山を差し出す”という場面が時々あるが、この切餅とは賄賂(わいろ)のこと。小判を布や紙に包んだ形が切餅に似ているため、そう呼んでいる。
金座年寄
(きんざとしより)
今でいう造幣局の責任者。勘定奉行の支配下にあって、当時は、金貨を製造する「金座」、銀貨を製造する「銀座」、銭貨を製造する「銭座(ぜにざ)」などの機関に分かれていた。現在日本銀行本店のある敷地が、元金座があった場所。
金山
(きんざん)
徳川幕府は、各地の大名が支配していた鉱山をすべて幕府直轄とし、採掘した金銀による鋳造権(小判作りの権限)を握ることで天下の統一を図った。中でも江戸初期に金鉱が発見された佐渡の相川は、日本一の採掘量を誇る貴重な財源。多くの坑夫や資金がつぎ込まれた。鉱山内に張り巡らされた坑道は全長400キロにも及ぶという。「かなやま」とも読む。
金子
(きんす)
金子とは金貨を含む硬貨のことをいう。

曲者
(くせもの)
不審な者、怪しい者のこと。
雲助
(くもすけ)
駕籠(かご)や荷物を運ぶ人足のこと。語源は、雲のようにひとつところにとどまらない=住所不定の者という説と、街道沿いで網を張って客を待つ行為がまるで巣を張って獲物を捕らえる蜘蛛(クモ)に似ているからという説がある。
暮れ六つ
(くれむつ)
時計が一般的でなかった当時、人々は"時の鐘"や"時の太鼓"の音を頼りにしていた。時刻の表し方は、日の出から日の入りまでを6等分し、同様に日の入りから日の出までも6等分。最小単位を「一刻(いっこく)」とか「一つ(ひとつ)」「一時(いっとき)」と呼び、一日は12刻制。季節によって一刻の長さは変動した。現在の24時間制になったのは1873(明治3)年。大まかに照合すると、明け六つ=6時頃、朝五つ=8時頃、朝四つ=10時頃、昼九つ=正午、昼八つ=14時頃、昼七つ=16時頃、暮れ六つ=18時頃、夜五つ=20時頃、夜四つ=22時頃、暁九つ=深夜0時、暁八つ=午前2時、暁七つ=午前4時頃。今も使う「おやつ」という言葉は、昼の八つ時に食べることからきている。また、干支を使った時刻の呼び方もあった。

結髪
(けっぱつ)
文字通り髪を結うこと。時代劇は武士や商人、浪人、農民、町娘、お姫様など、髪型を見ればその人のだいたいの身分がわかるのが特徴。その髪をつくる結髪さん(結髪師)は時代劇になくてはならないスタッフで、現代風に言えばヘアスタイリストだ。
家来
(けらい)
主に仕える者のこと。広辞苑によると、かつては「家礼」とも書かれ、子が父を敬い礼するという意味があったという。助さんや格さんは黄門様の家来。

公儀隠密
(こうぎおんみつ)
「公儀」とは幕府のこと。その命を受けて、偵察の任務に従事していた下級武士が公儀隠密だ。徒目付(かちめつけ)、小人目付(こびとめつけ)、中間目付(ちゅうげんめつけ)などの役職が多かった。伊賀者、甲賀者など忍びもいた。
郷士
(ごうし)
もともと武士でありながら農業などを営み、武士としての待遇も若干受けている者を郷士という。江戸時代の階層のひとつで、城下に居を構える武士とは違い、郷(さと)に暮らしている。
五十間
(ごじゅっけん)
間(けん)というのは、日本建築の柱から柱までの長さを表していて、1間は約1.82メートル。つまり五十間は約91メートルの計算。
胡麻の蝿
(ごまのはえ)
胡麻の蝿とは、旅人を油断させるために自分も同じ旅人の格好をして、金品を奪い取る泥棒のこと。胡麻の上にとまった蝿は見分けがつきにくいことから、また、しつこく付きまとうことからそう呼ばれるようになった。「護摩の灰」ともいわれ、これは僧侶のフリをした者が「弘法大師の護摩の灰」と偽って、物を押し売りしたことからきているという。
御落胤
(ごらくいん)
御落胤とは、身分の高い人が正妻ではない女性に産ませた子どものこと。「落とし胤(だね)」とか「落とし子」ともいう。
御寮人さん
(ごりょんさん)
年若い妻や娘に対する尊敬語で「ごりょんさん」とか「ごりょうにん」という。
破落戸
(ごろつき)
当て字。意味は、決まった住まいや仕事を持たず、他人をおどしたりゆすったりする人のこと。


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