2005年4月25日、兵庫県尼崎市で起きたJR福知山線脱線事故。運転士1人と乗客106人が死亡した。
鈴木順子さんは当時30歳、最も犠牲者の多かった2両目に乗っていた。5時間後に救出された順子さんは意識不明の重体だった。医師は家族に「たとえ助かったとしても寝たきりか植物状態だろう」と厳しい宣告をした。意識が回復したのは5か月後。事故から11か月後にようやく退院し劇的な回復を遂げていく。
一方で、順子さんも家族も苦しんだのが記憶障害だった。事故のことはもちろん、なぜ車椅子なのか、自分が何歳なのか、思い出せない。
そんなとき、希望を託したのが、かつての趣味だった「陶芸」だった。器用な手先を活かし「陶芸は自分の仕事」と話すようになった順子さんは大きな目標を立てることにした。
事件や事故のニュースは恐ろしいスピードで風化していく。今作は20年という年月を刻んできた順子さんと家族の記録である。
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