時事放談 トップページ 毎週日曜あさ6:00〜6:45
過去の放送 出演者 時事放談「サロン」 テレビプロデューサーの日々
 
 

枝野幸男氏「改ざん前文書と違う答弁」(2018年3月25日放送)

枝野:「これは政権全体に関わる問題だから、官邸にも、例えば同じ委員会質疑で総理にも同じような質問が飛ぶかもしれない、官房長官にも同じような質問が飛ぶかもしれない。したがって、あらかじめこういう線ですねと、事実関係こうですからこういう答弁にしますよねと、ということをすり合わせしていなかったら、これは職務怠慢です」

その後、それまでの佐川氏の証言を聞いていて、憤懣やるかたない様子で質問に立った共産党の小池晃議員は、「いつ知ったかは言えないならいいですよ。見たときにね、決裁文書見たときに昭恵さんの名前が出ていると。これは特別なことだという感じもしませんでしたか」と尋ねると、それでも佐川氏は「ご質問の趣旨は、決裁文書をいつ見たかとおっしゃってるんですね」と証言し、またもや委員会室はヤジで騒然となり、その中、小池氏が「いつ見たかは言えないというんですけど、見たわけでしょどこかで。その時にどういう印象で受け止めたんですか。安倍昭恵さんの名前が何度も出てくることについてっ」と声を張り上げた。これに佐川氏は「いつ見たとは聞いておらないけど、いつか見たんでしょうというのは、やっぱりいつ見たのかというご質問でございますので…」などとかたくなで、小池氏は座ったまま「これはダメでしょう」っと大声をあげ、座ったまま机をドンッっと思い切りたたき、審議を止めた。「いつなんて聞いてないよ」「財務省も地に落ちたよ」などとヤジの中。佐川氏は証言席に座ったまま、困惑の表情で様子を眺めていた。


玉木雄一郎氏「なぜ昭恵さんの名前を削り」(2018年4月1日放送)

玉木:「もともとの土地取引そのもののいかがわしさ。で、これが実は会計検査院がすでに8億円の値引き等々については不適切だと、去年の11月にもう断罪しているんですね。じゃあその不適切なことがなぜ行われたかっていう時にですね、決裁文書の前のところには出ていて、決裁文書改ざん後のものには消えている様々なものの内、現職総理大臣の夫人の影響は大きかったんじゃないかと思わざるを得ないですね」

午後は衆議院に場所を移し証人喚問が続いた。山場は、共産党の宮本岳志議員の質問で、冒頭から午前の参議院の喚問で、文書の「廃棄」は「文書管理規則の取り扱いを説明したもの」などと苦しい釈明をしたことを激しくついた。

宮本氏は「この森友問題、これは昨年2月15日の私の財務金融委員会の質問から始まった。この問題は、この質問を端緒にして私とあなたとの間で争われてきたお行っても過言ではない」と声を張り上げ、「そこで聞くがあなたは昨年2月24日の衆院予算委で面会記録は破棄していると、こういう答弁を私に初めてなさいました。この答弁は虚偽答弁でありましたかあ」とさらに大声を出した。これに佐川氏は「財務省の文書管理規則の取り扱いをもって答弁したということで、丁寧さを欠いたということで、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。

これに宮本氏は「2月24日の私に対する答弁ですよ、あなたの答弁ですね。『委員からのご依頼を受けまして確認しましたところ、近畿財務局と森友学園の交渉記録と言うものはございませんでした』と。この時、『確認して、なかった』と答弁してるんで、一般的な規定を答弁しているのではないのです。これ全く、どちらかが嘘ですね」と畳み込むと、佐川氏は「その確認したという意味だが、理財局に質問書で文書の取扱規則を確認したということでそれで答弁してしまいました。申し訳ありませんっ」とまたもや頭を下げた。

これに宮本氏は「そんなの通りませんよっ。それは通りませんよっ。委員長ダメですよ。答弁なってないですよ。そんなの通りませんよっ。答弁なってないじゃないじゃないですかっ」と憤慨し、委員会室は「それはひどい、止めて」「今のはひどい」と騒然とした。この中、佐川氏は「本当に申し訳ありませんでした。文書の取り扱いの規則の話をしてございました」と懇願調になっていた。そして、「もう一度大声でっ」と大きなヤジが飛ぶと「すいませんでした」と頭を下げた。それでも宮本氏は「じゃあ、この答弁については虚偽答弁を認めるか」と言われると、佐川氏は「それをその虚偽と。私自身はその虚偽と言う認識は、その時はございませんでした」と苦しい表情を見せた。

こうした午後の証人喚問の中でも、佐川氏が自らの思いをにじませる瞬間があった。立憲民主党の逢坂誠二議員が、森友学園への国有地払い下げが前任局長の時に進み、佐川氏が理財局長になった時にはほぼ終わっていることについて「本当の当事者でないにもかかわらず、こうして証人喚問を受けることについて理不尽だと思うことはないですか」、と水を向けられた時だった。「あのー。私どもは公務員であった時には、そこにつけばその職務を果たすというのは私どもの本文だという風に思もっておりました。したがいまして、起きたことは前任者の時代だったり、前々任の時代だったりするかもしれませんが、その時に、国有財産の担当部局の局長として国会でご議論があればそれは私として一生懸命う局内から話を聞き、資料を読んだりして、ご答弁をもうしあげるのが私の仕事であります」とかみしめるように証言した。

午前午後、衆参両院で4時間にわたる証人喚問を終えた佐川氏は、カメラのフラッシュを激しく浴びながら、深々と一礼して部屋を出て行った。廊下では、「通路確保してっ」などと叫ぶ衛視に囲まれて、補佐人を務めた弁護士を後ろに従え疲れた表情で出口に向かった。あの、自信満々に答弁を続け(本誌2017年5.6月号参照)、その後、国税庁長官に昇進した「佐川氏」の面影はそこにはなかった。

カバンの中の資料束の3月19日付の朝日新聞では内閣支持率が31%と、2月の44%から急落していた。うんざりした気分で国会の東側にある憲政記念館に足が向いた。展示場の一階にあるちょうど3分の2の大きさで衆議院本会議場を再現した部屋で、安倍総理が正面のスクリーンで施政方針演説を始めるところだった。16ある議席の後ろの席に座ると、正面の3か月前の安倍総理は自信に満ち満ちていた。「未来は、与えられるものではありません。私たち一人ひとりの努力で作り上げていくものであります。私たちの孫たちのために、今こそ新たな国づくりを、ともに、進めていこうではありませんかあ」と、胸を張って大声をあげて、深々と頭を下げた。狭い黴臭い部屋の中で「やれやれ」と、思った。


※本原稿は調査情報5〜6月号に掲載されています。

石塚 博久 (いしづか ひろひさ)
'62 東京都足立区生まれ。早稲田大学卒業後、'86日本経済新聞社に入社。大阪、名古屋、仙台支局(このとき、「みちのく温泉なんとか殺人事件」に出るような温泉はほとんど行った“温泉研究家”でもある)に。
東京本社政治部で政治取材の厳しい(「虎の穴」のような)指導を受け、新聞協会賞(「閣僚企画」共著)も。
'96TBS入社後は、報道局政治部記者、「NEWS23」のディレクターを経て、「時事放談」制作プロデューサー。

ページ |